『隣の家の少女』を読んだ。こんなにも読んだことを後悔するとは…。

はっきり言って、この「隣の家の少女」は面白い。しかし、読んだことをここまで後悔した作品は他にはない。その理由は実際この小説を読んでもらえばすぐにわかると思うけれど、とりあえず先にこの作品のレビューをここに記しておこう。

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3分でわかる『隣の家の少女』のあらすじ

“苦痛とはなにか、知ってるつもりになっていないだろうか?”

この物語の主人公であるデイヴィッドはそう語りかける。彼は1958年の夏の事を回想しはじめる。

少年、デイヴィッドは小川のほとりで一人の美少女メグに会う。そしてすぐに心を奪われた。ドキドキしながら一緒にザリガニ釣りをやっていると、メグの腕に大きな傷痕を発見する。びっくりしたデイヴィッド。思い出したくもない話ながら、事故で両親を亡くしてその時についた傷だと説明するメグ。そしてそのことがきっかけで同じく激しい怪我を負った妹のスーザンと共にデイヴィッドの隣の家のチャンドラー家に引き取られたと語るメグ。

デイヴィッドは隣の家に住むルース・チャンドラーに好意を抱いていた。彼女は夫に逃げられ、住宅ローンに苦しみながらも3人の子供とともに暮らしていたが、そこらへんにいる大人の女性の中ではひときわ綺麗だったし、他の人には言うんじゃないよという言葉とともにビールも飲ませてくれてタバコも吸わせてくれた。さらには彼女は絶対にブラジャーをしない。

そしてそんなルースの家にはドニーとウィリー、ウーファーという子供がいて、特にドニーとの関係は親友と言ってもいいぐらいの仲だった。だからデイヴィッドはよく親に内緒でチャンドラー家に遊びに行っていたのだった。

チャンドラー家に引き取られたメグとスーザンは初めのうちはうまいことやっていると思っていた。しかし、メグはデイヴィッドに「どうしてあの人たちはわたしを嫌うのかしら」と言う。気に入ってもらうために努力はしてみたが、嫌いたがっているみたいに扱われる。

そしてそれは次第にエスカレートしていき、メグはついに虐待されるようになる。さらには監禁され、ありとあらゆる屈辱に耐えなければならなかった。逃げ出すにも妹のスーザンの存在がある為に一人で逃げ出せないメグ。

そんな虐待のシーンを目の前で傍観者として存在し、いけない事だとわかりつつもルースやドニー達の行動をとめることが出来ないデイヴィッド。

彼は心のどこかでメグが虐待されていることに対して興奮してしまっている自分を認めるのだった。

そして…。

こんな感じのあらすじです。導入部分には朗らかな部分もありますが、その他は終始虐待描写がされていると思ってください。

『隣の家の少女』で心に残った文章の引用

苦痛は外から内へ作用することもある。
つまり、なにかを見ることによって苦痛をおぽえることもあるのさ。それこそ、もっとも残酷で、もっとも純粋な苦痛だ。やわらげる薬も、眠りも、ショックも、昏睡もないのだから。

十二歳の少年にとって、小さい子は小さい子にすぎない。実際の話、その存在に気づかないことすらある。

電気スタンドに照らされている肌は、透きとおっているのかと思うほど白かった。

ベッドに横になりながら、人を傷つけるのはあんなに簡単なんだ、と考えた。からだを傷つける必要はないんだ。相手が大切にしているものを思いきり蹴飛ばすだけでいいんだ。
ぼくにだって、その気になればできるんだ。

「きっと信じないさ。なんにもしないに決まってる。警官は、口ばっかりでなんにもしないんだ」

子供は身も心も両親の持ち物だった。すなわち子供は、大人の世界からの本物の危険に直面したら破滅する運命にあったのだ。そしてそれは、絶望と屈辱と怒りを意味していたのだ。

ときどき、男は追いこまれる。追いこまれたと思いこむ。そして……やってはいけないとわかっていることをやってしまうんだよ

最後になにをするか――それが大切なのよ

だれにもいうなが彼らのモットーだったのはあきらかだ……だとしたら、じつのところ、だれにもいうなから手を貸してやろうまで、どれほどの距離があるのだろう?

引用:「隣の家の少女」ジャック・ケッチャム著,金子浩訳(扶桑社ミステリー)

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とにかく吐き気がするほど陰惨であり残虐で救いようがない読後感

この小説はミステリーホラーというジャンルになるんでしょうか。ミステリーホラーと言えば一番最初に思い浮かぶのはやっぱりスティーブン・キング。そしてその彼が大絶賛したのがジャック・ケッチャムの書いたこの「隣の家の少女」なのです。

普通、ホラーというものはある程度恐怖の世界を味わったら、最後は解放され、なんとなくハッピーエンドという感じが多いと思いますが、この作品はそうではありません。人間の陰惨で残虐な部分を詳細に描き、描き、描ききったら終わってしまうという何とも後味の悪い読後感。読み終えて何のハッピーな感情が湧いてこない作品です。

それでいて読んでいる時はついついページを先へ先へとめくってしまうのはきっと、この主人公であるデイヴィッドの、人間はどこまで悲惨になれるのかどこまで受け入れることが出来るのかを知りたくなってしまう好奇心と同じような感情が読者に宿るからでしょう。

デイヴィッドは監禁されたメグを虐待するルースやその他の子供たちの行動を目の当たりにしながら、逃げ出したいという気持ちとずっと見ていたいという気持ちが同時に存在し、葛藤していました。いけない事とはわかっていながら何度もチャンドラー家の地下室に足を運んでしまい、何度もメグの虐待される姿を見てしまうのです。

きっと読者も同じ気持ちで何度もページをめくってしまい、同じようにメグの虐待されている姿を読んでしまうのです。そしてデイヴィッドが気が付いた時には取り返しのつかない所に来ていたのと同じで、読者も読み終わった後に取り返しのつかない本を読んでしまったことに気が付きます。

…この本はとにかく卑怯なのです。卑怯な好奇心の引き出し方を用いて文章を書いていき、読者に読ませます。そこがスティーブン・キングが絶賛しているところでもあるんですが、僕はもう当分この本については振り返りたくありません。

思い出すだけで悲しくなります。

面白いと思ってしまった自分もとても悲しいのです。

まとめ

この作品は決して人には薦められる類の本ではないような気がします。

でも、間違いなく面白いのです。

その面白いと思ってしまう感情を認められるかどうかだと思います。陰惨で残酷な気持ちと言うのは誰の心にも存在するものなのでしょう。それを認められるかどうかです。そして認めたうえでその気持ちとどうやって付き合っていくか。

自分の悪い所を認められる人間は正常です。ルースや虐待に関わった子供たちは決して悪いだなんてこれっぽっちも思っていなかったでしょう。それだから異常なのです。

余談ですが、この作品には元ネタとなっている事件があって、シルヴィア・ライケンス事件がその元ネタなんですが、この事件が実際にあって、犯人が死刑にならずに釈放されているという事実が驚きでした…。

後味悪い。

最後の最後まで後味悪かったです。

ではでは。興味があれば覚悟の上で読んでくださいませ。

…あ、この本、誤字脱字が多いし、訳がへたくそなのか原文が特殊な書き方なのかわかりませんが、慣れるまでものすごーーーーーーーく読みづらいのでそこだけは気を付けて。読み慣れるとスピード出てきます。

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