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About 管理人:これからする話を聴いて、あなたはとても嫌な気分になるかもしれません。多少の自慢話や不幸なシンデレラ気質の文章を含みますので、人によっては今は読まない方がいい人もいるかもしれません。

ただ、なぜ僕がこんな遅いペースでも、ブログを続けているのかが少しはわかってもらえると思います。僕には向き合いたくない過去がありました。この文章を書くことで自分の中で整理をつける事が出来るのではないかと思い書き始めたら、自分をとめられなくなりました。

文章が少しばかり長くなってしまったので時間がある時に読んでもらえると助かります。

では、始めます…。

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あなたが嫌いになりそうなヤツはどんな人ですか?

えー、これから書く話を読んで、あなたが僕の事をどう思うかは別の話として、小さい頃、僕はきっと嫌なヤツの代表のような人でした。わかりやすく言えば、頭のいいジャイアン。身体が大きく、なんでも自分の思い通りにならないと気が済まないクソガキ。

小さい頃から人一倍身長が高く目立つ人間でした。そしてその注目に応えるべく、期待を裏切らないように常に必死でした。

勉強は学年トップをとったこともあり、先生からは真面目でしっかりものの優等生というイメージ。学級委員ばかりやっていたことも好印象だったのでしょう。

しかし、実際の僕は人と関わるのが下手くそで、嫌な事があれば癇癪を起こし、椅子をぶん回し破壊する。理科室ではビーカーなどが粉々…。

伝わらない、伝わらない、伝わらない。なんで僕はこんなにも人と違うんだ。なぜ…。

騒動後に駆けつけた先生たちは一体何が起きたのか、理解が出来ず、周りの生徒から話を聞いても、野口くんがそんなことするはず無いじゃないかと信じない。

成績表は常に真面目で温厚に◎が付き、きっと親なら周りに自慢したくなるような文句の付け所が無いオールA。スパルタ教育だった親も満足していたはず。

そこで僕は勘違いを起こします。

「きっと選ばれた人間なんだ…」と。

卒業式に学校から優良児童生徒として表彰されて貰った賞状を破りながら帰った帰り道で僕はそんな事を思いました。

アイドル。芸人。受験生。

人よりも恵まれた体格に生まれ、運動も得意、勉強も申し分ない。ただひとつ、性格だけが悪かった僕は、周りと合わせられない理由、人と違う理由を「選ばれた人間」だと勘違いし、アイドルを目指します。

米米CLUBの「君がいるだけで」を何度も聴いて、カールスモーキー石井のような美声に憧れ、真似をし、ダンスを習い、歌って踊れる何かを目指しました。

駅に出てはパフォーマンスを行い、もらえたお金でラーメンを食べて帰る。アイドルになるためには何をしたらいいかよくわからずにやっていたそんな日常。

しかし、身体は成長期を迎え、胸毛がボーボーに。堂本剛など、すね毛が濃いアイドルはいましたが、胸毛が濃いアイドルを見つける事が出来なかった僕は、悩んだ末にアイドルの道を諦めました。

悩んだと言っても4秒ぐらいでしょう。僕はすぐにシフトチェンジしました。

アイドルでなくても構わないのです。みんなからキャーキャー言われる存在。あの頃、ナインティナインの岡村さんが大好きだった僕は、よし、胸毛だって笑いに変えれば武器になる。岡村さんだって歌って踊ってキャーキャー言われているじゃないか!と芸人を目指すことに。

岡村さんがジャングルTVなどで、口が臭くてすね毛が濃いおサルさんで売っていたという所もかなり良かった。

まず僕が考えたのは、これからはお笑いも高学歴じゃなければやっていけない。岡村さんも立命館大学に行っていたし、タモさんも早稲田。たけしさんも明治。ボキャブラで好きだった海砂利水魚の有田さんも立教で、上田さんも早稲田。なんか、僕が好きな芸人さんはみーんな高学歴。

もちろん、必須というわけではないけれど、ないよりあった方がいいだろうと思った僕は、高校を卒業後、早稲田のブランドを手に入れる為に浪人を決意します。高校時代は野球に明け暮れていたため、勉強は全く…。スタートラインの判定はE判定(大学を考え直せと書かれていた)。偏差値38からの大学受験です。

浪人というと予備校に通うのが定番なのでしょうが、僕は人と関わることが出来ません。人に教えてもらうことが出来ないのです。

そこで選ぶのは自宅浪人。自分でなんとか勉強をし、大学を目指します。一人の勉強は楽しかったですが、受験が迫る1月には自分のいる位置がわからず不安になり、年明けから受験まで全く勉強が手につきませんでした。人と関わるのが苦手とかいいながら、人と比較してしまう自分。

そして受験当日。滑り止めなどを受けず、早稲田の第一文学部と教育学部だけを受けた僕は、試験へのプレッシャーで眠れないまま試験日を迎えてしまい、英語のテスト中に寝ました。目が覚めた頃には残り時間20分…。

終わった…。失敗したんだ、僕の受験は…。

諦めたらそこで…

完全に諦めモードの僕でしたが、かの有名な安西先生が僕に語りかけます。

諦めたらそこで試合終了ですよ。

ひとつの教科を落としても残りの教科で満点近く出せば受かる。まだ終わっていない。僕はペンを取り、出来る限りの穴を埋めました。

テスト中に寝てしまって焦りましたが、その睡眠が逆に頭をすっきりさせ、試験問題が手に取るようにわかります。やるだけの事はやれ!受験料3万5千円を無駄にするな!

そして試験終了。僕はその足で伸ばしっぱなしだった髪を切り、身なりを整え、ばあちゃんのお墓参りに行きました。

受験結果がどうであれ、無事一年間戦う事が出来ました。ありがとうございます。どうか僕にお笑いをやらせてください。

受験の結果が出た後のこと…

合格発表というと、“自分の数字が書かれた紙を持ち、掲示板にずらっと並んだ番号から見つけ出す”というのを思い浮かべますが、早稲田の合否発表は電話でした。

ロボットの自動音声が流れ、自分の番号を入力。そしてロボットが結果を告げる。

「おめでとうございます。合格です」

おおおおおおおお!!!!!!!!!受かったぞおおおーーーーー!!!!

呆気無く受かったぞ!!!

1月から何もしていない僕を見ていた両親は僕が何度受かったと告げても信じてはくれませんでしたが、ロボットの音声を聴いて、やっとそこでおめでとうと言ってくれました。ま、そうだよね。年明けからずっと気が狂ってたものね。

結果的に第一文学部、教育学部両方ともに合格しており、僕は第一文学部に入学することに決めました。(浪人中に読んだ芥川龍之介の杜子春が面白かったから)

大学に受かったら次は芸人の門を叩く事。芸人になるために大学を受験したのですから。大学に入学後、様々なサークル勧誘がありましたが、どれもこれもバカみたいにお金が飛ぶ模様。毎週のようにお酒を飲み、毎月のように旅行に行って親睦を深める。

それはそれで楽しそうではありましたが、養成所に通うお金を貯めなければ行けなかったので、サークルは諦めました。早稲田の落研とかお笑いサークルとか興味はあったのですが。

サークルに入らなかった僕でしたが、それからまもなく大学のコミュニティはサークルが9割を占める事を知りました。周りがどんどん友達グループを形成していき、そのつながりのほとんどがサークル仲間なのです。

当然ながら、サークルに入らなかった僕はひとりぼっちになりました。お笑いのために大学に入ったんだ。別に僕は学生ライフを満喫したいんじゃないんだ。何度も言い聞かせました。大学生は2割程が入学後のぼっちに耐え切れなくなり心の病気になるんだそうです。

ハチミツとクローバーやらオレンジデイズが流行っていた手前、何度もめげそうになりました。あんなの反則だよな。見てみろよ現実を。光ばかりじゃないぜ。189円で食べられるチキン和風おろしを学食で頬張りながらそんな事を思っていました。

…とまぁ、大学生としての生活にグチグチいいながら僕はバイトに明け暮れました。40万円。それが養成所に通うためのお金。一年間で無事にお金は貯まり、大学二年目で芸人の養成所に入りました。

養成所での授業に触れた時は、これだ。僕が求めていた世界はコレなんだ!!と感動したのを覚えています。色々な考えを持った同期生。考え方は様々で、話をしていて初めて話が伝わる!と思いました。

やっと自分と同じ考えを持った人たちに出会えたのです。入学当時の仲間は500人(実は早稲田の学生が4人いた)。そんなに沢山のお笑い芸人の卵が話をして面白く無い訳がありません。僕はちょっぴり感動して泣きました。

(40万×500人。2億円…。すげー。養成所儲かるやんと内心思いながら)

相方を見つけ、お笑いコンビを結成。

関西の人たちは基本的にコンビを組んでから養成所に入る事が多いようですが、関東の養成所では中でコンビを組む場合のほうが多いらしく、僕もその例に習って養成所の中でコンビを組みました。お笑い芸人としてのスタートを切ったのです。

が、しかし…。

人の感情の中で笑わせるということが一番難しいという事を僕は知りませんでした。怒らせたり、泣かせたり、ジャイアン体質の僕にはそれほど難しいことではありませんでしたが、笑わせるというのが本当に難しい。

笑わせると笑われるでは意味が違う。変なことをやればいいというわけではない。最初はどういうモノがウケるかわからないから突拍子もないボケをしようとする。しかし、もしそれでウケたとしてもそれは笑われているのであって、笑わせているのではない。

芸人になるスタートを切ったものの、何をしたらいいのかがわかりません。そこで考えます。お笑いと言えばネタでしょ?何よりもまずはネタがなければ。でも、そのネタづくりで悩んでしまうのです。

何がウケるのかがわからない。何をしたら笑って何をしたら笑わないのかがわからない。自分が面白いと思っているのに、相手は笑わない。今まで一体どうやって笑わせていたんだっけ?悩みました。そんな事考えて話をしたりしたことがなかったから、日常の会話から何からすべてを変えていく。

何度も何度も繰り返し舞台に出演し、何度もスベリ、時に一度も笑いが起きない舞台を体験しつつ、それでも時々湧き上がる笑いを重ねていく。日常の会話や舞台の上で、どれがウケてどれがウケなかったかの経験を積み上げる事でウケるネタがある程度固まってくる。

ウケるとわかったネタを自分のタイミングでやり、それがウケるようになって初めて笑われているのではなく、笑わせていることになります。ウケるネタを手に入れるのって本当に地道。地道な繰り返ししかない。売れてる人ってやっぱりすげーよ。うん。

しかし、ネタが出来たとしてももう一つ山があります。面白いネタがあったとしても、それを面白く演じなければならない。たとえ構成作家さんが面白いネタを考えてくれたとしても、それを僕が演じるよりもテレビに出ている人がやった方が面白いのは、“やり方が上手”だからです。

ネタは面白いはずなのに、僕がやると面白くない。面白い感覚はあるのに、それを自分で演じることが出来ない。自分の頭と自分の行動が一致しないのです。

つまりネタを作る所で頭を使いひとつ悩み、ネタを演じる所で身体を使いもう一つ悩みます。今までは、勉強でも運動でもなんでもそつなくこなしていくことが出来ましたが、お笑いに関しては全くダメ。そして僕は特別でもなんでもないことを知ったのです。

世界が変われば自分の存在も変わる。

1年間の養成所の卒業後、事務所所属の芸人になった僕は、毎月1、2回ほど小さなライブに出演し、大学の授業とバイトの日々。

お笑い一本で食べていく事は出来ず、大学に通いつつ、時間を見つけては相方とネタ合わせをし、残った時間はバイトという生活を送ります。教職の資格を取るというのがお笑いをやる条件だったので、大学の授業も夜の21時10分まで受ける事が常でした。

大学在学中の睡眠時間は2〜3時間程と体力的にはきつかったですが、すごく充実した日々だったと今では思います。全力で走ったなと思えるのはあの頃だけかもしれません。

大学卒業後、その生活は変化を迎えることになります。

時間、苦悩、挫折

大学卒業後、あれだけの授業を詰め込んでいた時間がぽっかり抜けたので、僕には時間的な余裕が生まれました。お笑いだけの事を考える環境になったのです。

しかし、そのたっぷりある時間が僕に余計なことを考えさせ始めます。お笑いと向き合う時間が増えるという事は不安と向き合う時間が増えるということ。

一発屋でもなんでもいいからキャッチーでポップなネタを考えるべきなのか、それとも王道のネタを自分にしか出来ないスタイルまで磨き上げるのか。

一体何が面白くて、何が正解なのか。

結局は、キャッチーでポップなネタを考えられる人が、自分にしか出来ないスタイルで演じ、人に飽きられたらそのネタを簡単に捨てる勇気があり、独自のネタを生み出し続けることが出来る人が売れるということなのですが、正解が頭ではわかっていても自分の進む道に迷い、とにかく焦ります。

あの頃はエンタの神様やお笑いレッドカーペットなどで同期たちが次々と出演し、出演しては消えていきました。完全に使い捨てのお笑いが求められていたのです。

しかし、それでも一回出ているのと出ていないのは別物。だったら、自分たちもキャッチーなネタを作った方がいいのでは?と迷うこともあります。注目されないことには自分たちがいくら面白くても意味が無い。

しかし、一度注目されてそのイメージがついてしまったら本当に売れる事が出来なくなるのでは…。しかし…しかし…しかし…。

こんな毎日です。お笑い芸人になることは簡単。売れるのが難しい。中学生の頃に言いまわっていた「夢はお笑い芸人です」というのは叶えた。でも問題は芸人になってから。スタートラインに立っただけ。中学生の頃の夢は決してゴールではなかったのです。

お笑い芸人にさえなってしまえば、あとはうまくいくはず…。

…いくはずだったのに。

今まで何不自由なくある程度うまくいっていた自分。勉強もやれば出来る。どんなスポーツも運動神経でカバー。人ウケもよく、好印象をもたれやすい。挫折を知らずに生きてきた僕は初めて挫折に似たようなモノを感じ始めていました。

aiko、恋人、結婚

そんな感じでお笑いを続ける中で、僕は大きな出会いをします。

aikoが大好きだった僕はライブによく行っていたのですが、フレンドリーなaikoのライブは時々知らない隣のお客さんと手をつないでジャンプをしたりします。

たまたま隣になった女の子が意外にも自分の住んでいる家のすぐ近くだと知り、お笑いが大好きだという事を聞きました。同期のまだそれほど有名ではない芸人の名前ですら知っているのです。

それきっかけで仲良くなり、恋人になりました。

まぁ、そんな彼女とも色々あり、お笑いの苦悩をぶつけたりしたわけです。ジャイアン気質は変わっていない。それでもずっと一緒にいてくれ、僕を笑わせてくれました。そう。彼女は面白かったのです。お笑いが好きというレベルではなく、笑いを愛していました。

そんな彼女でしたが、僕が振り回してしまったばっかりに、家族とうまく行かなくなり、駆け落ち同然で同棲を始めました。

彼女の父親は社長ですごくしっかりとした考えの持ち主。そんな人に僕は「僕が地球を回している」と豪語し、彼女をもらってしまっていいんですね?家を出て行きますが、本当にいいんですね?とよくわからない決別宣言を行いました。

同棲を始めた当初はまるで新婚のようだな。と楽しさが勝っているだけで、彼女もニコニコしていましたが、ある日の夜、家族を失った悲しさに泣いている彼女を見た僕は、この人の家族になろうと本物の結婚を決意しました。

そして二人は夫婦になり、一層頑張って売れてやるとお笑いへの気持ちを強めました。

家族とは当然そこにあって、そうあるべきもの

そんな中、二人の間に子どもを授かったのです。僕は喜び、これを機に、なんとか彼女と彼女の両親が仲直り出来ないものかと考えるようになりました。

これから親になるにあたって、親の気持ちを理解出来ずにいるのは嫌だったし、生まれてくる子どもに親の都合だけでおじいちゃんおばあちゃんがいないのは申し訳ないと思ったからです。

時間は経っているものの、大口を叩いた手前、会いに行くのは気が引けましたが、向こうのお義母さんと連絡を取り、なんとかお義父さんともう一度話が出来る場を作ってもらいました。

それでもやはり娘と父親というのは反発しあうもの。場を提供してもらったものの、話はどんどん悪化していくばかり。同じような結末を迎えてしまうのかな、やっぱり分かり合えないのかなと悲しくなりました。

僕が地球を回している。そんな大口を叩いたのに、僕にはこの二人の気持ちですら動かすことが出来ない。僕は自分が情けなくなり、気がつけば涙が止まらなくなりました。

僕はまとまらずに終わってしまう話の最後に、こう聞かなくてはならない気分になりました。

「お父さんは最後に娘さんを大事だと思ったのはいつですか」

「いつだって大事だと思ってる。思っているから〜」

今まで娘の悪い所しか指摘しなかったお義父さんがウソのように娘の良い所を挙げ始めました。その話を聞きながら僕は更に涙が流れました。

そして嫁さんに泣き顔を見せると、

「なんで泣いてるの?」と聞かれたので、

「ごめん。僕が思っていたよりもお義父さんはいい人なんだもん。このままバイバイなのはやっぱり悲しい」

と素直に答えました。その瞬間を皮切りに嫁さんもお義父さんの悪口ではなく今までこういう事をしてくれた。この時はすごく感謝した。などなど、肯定的な事を言うようになったのです。

結果的に紆余曲折を経る形にはなりましたが、なんとか話をまとめ、彼女の両親たちとも再び会えるようになりました。

今まで喧嘩別れをしていたのがウソのようにご飯に誘ってくれたり、孫が生まれるとのことで、子供服を買ってくれたり、会社の現場に僕を連れて行ってくれたり、様々な事をしてくれました。

僕の親にも話をして、僕の両親と嫁さんの両親の顔合わせをした食事を行い、本当に両家が結婚を認識することが出来ました。

お笑いは上手く行っているとはいえませんでしたが、僕は幸せでした。とても。家族ってなんだかんだ言っていいもんだよな。

僕も子どもが生まれたら、その子どもに「家族っていいね」と言われるようなそんな父親になりたいと、僕はその時、ささやかに考えました。

幸せはいつだって人間を裏切る…

赤ちゃんが遊ぶグッズなどが僕の家に並ぶようになり、いよいよ僕も親になるんだなと実感が湧いてきた頃。

子どもの名前なんにしようかな…。

そう考える僕がいました。キラキラネームが流行っているみたいですが、やっぱり自分の子供ですから、色々と意味をもたせたり、字画を考えたり、バランスを考えたり、占いを読んでみたり、情報が溢れる現代で様々なものを考慮して考えますから、キラキラネームになってしまうのも理解出来ます。

そもそも僕の子どもは男の子なのかな。女の子なのかな。それを知ることも現代の医療では出来るみたいなんですが、僕は出来れば生まれた時に知りたい派だったのでどちらの名前も考えていました。それが楽しかったのです。

そして病院の定期検査に嫁さんと連れ添って行きました。

今の技術はすごいもので、嫁さんのお腹の中にいる子どもの写真をその場で見せてもらえます。

僕は男の子なのか女の子なのか言われちゃうのかな。とドキドキしながら先生の話に耳を傾けました。

…ただ、先生が告げたのはこの子が障害を持っているという事だけでした。

僕はそれからの事はほとんど覚えていません。いや、障害があろうとなかろうと僕の子は僕の子。絶対に幸せにするんだと考えたまでは覚えています。

でも、すぐにその子は死にました。

男の子でした。こはるくんと名前をつけたその子は、この世に産み落とされ、世界を知る前に家族とはどんなに素晴らしいものかを知るまでもなく僕の前から去って行きました。

原因はわかりません。僕にあったのか。嫁さんにあったのか。たまたまなのか。なんなのか。二人は落ち込み、たくさん泣きました。

でも。でもね。そんな時こそ笑わなきゃならない。僕はお笑い芸人だから、悲しい時こそ、笑顔にしなきゃならない。お互いがお互いを笑顔にするように努力する。

僕と嫁さんはなんとかその悲しみから抜け出し、前よりも一層お互いを大事に思い、暮らすようになりました。どんなに辛くても笑っていればなんとかなる。

そして…。

挫折なんてものは絶望でも何でもない

僕と嫁さんは再び新しい命を授かりました。産婦人科の先生はよく乗り越えたねと言ってくれました。その言葉を聞き、嫁さんは胸にしまっておいた涙が溢れ、笑顔が涙で輝きました。

僕らは、両親に報告し、本当におめでとう、頑張ったねと言ってもらえました。そこでも涙が流れました。

相当の無理をしていたのかもしれない。悲しみに蓋をし、笑顔で生活する。相当の悲しみを胸にためていたのかもしれない。それが今、取り除かれ、本当に心から笑えるようになるのかもしれない。

僕は新しい命に名前を付ける為に、再び色々と調べ回りました。名前をつけるって実は人生の中でも最大の愛情表現だと思っています。その子の人生を見守ってくれる名前。

うーん。うーん。

やはり名前を考えるのは楽しい。

今度は事前に男の子か女の子か教えてもらっていたので、考えるのは女の子の名前だけ。どういう名前がいいかな。

僕は嫁さんが大好きなので、嫁さんの名前から一文字取りたい。僕の名前は…まぁ、遺伝子に刻んでくれるだけでいーか。なんにしようかな。

うーん。うーん。

そうだ!これにしよう!

そうやって名前が決まった頃。

…その女の子は死にました。

同じことの繰り返し。かのんちゃんはこの世に産み落とされ、誰かに恋することもなく、僕と喧嘩をして家出をすることもなく、僕と仲直りすることもなく、僕の目の前から消えました。

そこで僕と嫁さんは壊れました。

生きてる事はそれだけで幸せ

今度は涙も出ませんでした。笑えませんでした。僕ら二人はお互いを思いやることも出来なくなり、怒りをぶつける日々が続きました。

そして心の病気になり、お互いの両親の仲介のなか、離婚することにしました。

あっという間でした。

幸せを感じていたあの頃。家族とは素晴らしいものだと感じていたあの頃。将来は幸せな家族を築きあげるんだと決意したあの頃。

それらすべてが嘘のように過去になり、広い部屋で独り、二つの骨壷を眺める日々。鏡を見ると非常に醜い身体がそこにありました。体重計に乗ると107キロ。人生で一番の体重。

僕は気が付くと、笑っていました。笑いが止まらなくなりました。そして、いくら蓋をしても蓋をしても飛び出てくる哀しみ。

止まらない笑い。

次第に感覚がなくなっていく心。

笑い疲れてもなお笑いが止まらない。僕は薬瓶を取り出し、ひとのみ。置いてあったウィスキーで流しこむ。

久しぶりにお酒を飲んだな…。

生きてさえ。生きてさえいればそれだけで何が起きても、幸せな事だったんだ。そんなことも知らなかった。

幻聴、人間不信、逃亡

気が付くと目の前には両親と大学の時の友だちがいました。僕はベッドのうえでビロンビロンに伸びたクマのプーさんのTシャツを着て、オムツを付けられていました。

大量に飲んだ睡眠薬は胃洗浄され、若干の口酸っぱさを残し、僕はベッドに寝かされたみたいです。

大量の睡眠薬を飲み込んだあの日、大学の友だちが電話口で異変に気が付き、救急車を手配してくれたようで、部屋の鍵は管理人さんが事情もわからず開けてくれたみたい。僕は電話をした事さえ覚えていないぐらいなんですが…。

その後すぐに退院しましたが、その日を境目に幻聴が聴こえるようになりました。誰かに呼ばれている気がしてそちらに行くと、誰もいない。電話がなったと思えど、見ても着信はない。外を歩くと音はうるさくなり、歩くことも出来ない。

常に頭のなかは音や声で溢れかえりうるさくて仕方がない。

人と話をしても、その人の考えていそうなことが頭をめぐり、まともな会話も出来ない。僕は病院で統合失調症と診断されました。

僕が?

何かの間違いだろ。

みんなの模範だって表彰されたことだってあるんだぞ。なんで。なんで。

僕は自分が世界から否定されている気がしました。

“人間はなんの為に生きてるのか。人間は一体なんの為に生まれてくるのか。”

“もしそれが子孫を残す為だというのであれば…。”

“僕は遺伝子レベルで否定されている。”

これもあれもすべて妄想。すべて僕が生み出した幻聴が聴かせる虚構。

まともな思考が出来なくなった僕はお笑い芸人であることを辞めてしまいました。これからは普通の社会人。

普通?

“アイドルを目指し、芸人を目指し、就職活動をしたこともない僕が普通になれるのか?普通ってなんだ。みんなが出来る事を僕は出来ない。”

“みんなは結婚し、子どもが生まれ、必死で養おうと頑張って働いている。”

“そんな普通の事が僕には出来ない。”

“多数決の原理で回っている社会では、少数派は排除される。普通のことが出来ない僕は人の迷惑。僕は生きているだけで人々に迷惑をかけている。”

“僕は僕の知らない所で人を傷つけ、僕の知らない所で邪魔をしている。”

妄想。幻聴。妄想。

僕は怖くなり、一台のロードバイクを買いました。そして僕の事など誰も知らない土地へ走り出す。新潟、千葉、鳥取、広島、大阪、山口、福岡、香川…。

テント一つで色んな土地に向かい、そこで暮らす。

しかし、どうやっても人が僕に話しかけてくる。僕は目立つ。僕は笑ってその受け答えをする。蓋をする。そしてその1時間後に僕は自分が喋った事があの人を傷つけていないだろうかと不安になる。

次の土地へ。次の土地へ。次の土地へ。

どこまで行っても僕は独りになることが出来ず、だからと言って死ぬ勇気も、もう持っていない。

海を見つけては叫び、山を見つけては地団駄を踏む。

どうしたらいいんだ。

どこに行っても僕を独りにはしてくれない。どこに行っても。どこにいても。

結局、僕の行動できる範囲では現状から逃げることも出来ず、何も変わらないことに気がついた僕は実家に戻り、統合失調症の治療に専念することにしました。

空いた穴は新しいものが入れられる

月日は流れ、離婚してから7年が経ちました。

その間にカウンセリングを受けたり、病院で診察したり、薬を処方してもらったり、そういう施設でリハビリをしてみたりしましたが、幻聴は今でも聴こえるままです。

でも、流石に7年も付き合っているとこれは幻聴なんだな。これは現実なんだなという区別は出来るようになりました。生活に支障が出ない程度には対応出来るようになってきたつもりです。

7年の間にぽっかりと空いてしまった穴。お笑い芸人になろうと志し、それだけを求めて人生を送ってきた僕は目標を失いました。

ただやはり僕は人が悩んだり悲しい時に笑わせたり、相談に乗ったり、話を聞いて上げること、人の不安などを取り除く事が好きなようで、出来るだけ多くの人を笑顔にしたり驚かせたり、感動させたりしたい。

そう考えて、ロートーンボイスを活かして声優になってみたいな〜と考えたり、高身長だから俳優とかどうだろう…とか、頑張ってサラリーマンになってみようかなど…他の道も探してみましたが、結局人と関わって何かをしなければならない。

つまるところ僕のネックはそこなのです。

でも一つだけ、人とあまり関わらずに、多くの人の目に触れ、人の心を動かす事が出来る方法がありました。

それが文章を書く事。

だから僕はブログを書き続けることにしました。毎日更新などは結構難しいですが、自分のペースで文章を書く。その文章が誰かの心に響き、コメントがもらえる。

その時に、

「あぁ。僕も少しは人の役に立っているのかな。僕にも生きている意味があるのかな」と思える事が出来ます。

あれだけ伝わらないと思っていた事が、どこかの誰かには伝わってくれる。それが僕を安心させる。

いずれは芥川龍之介のような作家になりたいなと思いますが、それはまだ先の話。

気がつけば30代。

色々な事がありましたが、幸せだと思える日が増えてきました。いずれ僕も人と同じくどこかで死ぬとは思いますが、それまでに沢山の経験を積み、亡くなってしまった二人の子どもに天国でいっぱいいっぱい語って聞かせてあげたい。

それだけを糧に今日も生きています。

野口明人

追伸。

ここまで読んでくれて本当に本当にありがとうございました。書きたいことは他にもありましたが(元嫁の現在など)、長くなりすぎてしまうので、それはまたどこかで書こうと思います。

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