『悪童日記』は陰惨で過酷なのに何故か爽快さすら感じる不思議な作品

久しぶりに一気読みしました。『悪童日記』、休むことなくすぐに読み終わりました。かなり内容的にはディープでグロッキーなはずだったけど、読み終わった後のこの爽快さは何だろう…。

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3分でわかる『悪童日記』のあらすじ

とある国の戦時中。<大きな町>から母親に連れられて双子の男の子がおばあちゃんの家にやってきた。おばあちゃんの家は<小さな町>の駅からも遠く、路面電車もバスも自動車さえなく、たまに行き交うのは軍用トラックのみ。母親は巷で魔女と呼ばれているそんなおばあちゃんの元に「もう食べさせてあげる事が出来ないから」と双子を預けに来たのだ。

甘やかすことは一切せず、働かなければ食事も与えないというおばあちゃんに双子の<ぼくら>は農業を覚え、その過酷な環境に適応していく。さらに家にあった唯一の書物である聖書をそらで言えるぐらい繰り返し読み込み、独学で勉強をしたり、痛さになれる為にお互いをベルトで叩いたり、町の人からの罵詈雑言になれる為にお互いを何も感じなくなるまで罵ったり、逆にやさしい言葉に甘えないようにお互いに甘い言葉を繰り返し、言葉の意味をなくしたり、空腹に耐える為に断食の練習をしたり、どんな事が起きてもどんな事をされても動かない不動の術の練習をしたり、とっさの為に盲人聾者の練習をしたり、残酷な事をする練習など、様々な「負の力」に適応する能力を双子独自の世界で形成していく。

二人はひとつの単純なルールを守って作文をする。それは「作文の内容は真実でなければならない」というルールだ。あるがままの事物、見たこと、聞いたこと、実行したことでなければならない。感情のような不確定で客観性に欠けたものは一切書かない。そして書かれたのがこの作品の「悪童日記」である。

そこには目も見えず耳も聞こえない母親を一人で面倒みている娘の<兎っこ>の事や、毛布をくれる従卒、<兎っこ>に辱めをする司祭、ホモの外国人将校など感情を交えず、事実だけを淡々と書き連ねている。

<ぼくら>は平気でのぞきや万引きもするし、司祭を恐喝したりもする。さらには軍人を非難をするし、殺人だってする。<ぼくら>は決して人から飼いならされたり、神を信じたり、命令されたりしない。強く生きていく。

そして、戦争は進展し、<解放者たち>が町に進駐するようになり、他国の占領下に入る。それと同時に母親は亡命をするため双子を引き取りに来るが、<ぼくら>はそれを拒みおばあちゃんと一緒に暮らすことを選ぶ。

やがて、おばあちゃんは脳卒中で倒れ、<ぼくら>だけで暮らしている元へ、父親がやってくる。<ぼくら>は父親の願いを聞き入れてやり亡命の手伝いをする。

『悪童日記』で心に残った所の引用

以下、この作品の中で心に残った文章です。今回は結構多めだった気がする。

個人は誰でも、他人のではない自分自身の人生を生きなくちゃいかんのだよ

ぼくらは、「ぼくらはクルミの実をたくさん食べる」とは書くだろうが、「ぽくらはクルミの実が好きだ」とは書くまい。「好き」という語は精確さと客観性に欠けていて、確かな語ではないからだ。「クルミの実が好きだ」という場合と、「おかあさんが好きだ」という場合では、「好き」の意味が異なる。前者の句では、口の中にひろがる美味しさを「好き」と言っているのに対し、後者の句では、「好き」は、ひとつの感情を指している。
感情を定義する言葉は非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。

「乞食をするとどんな気がするかを知るためと、人びとの反応を観察するためなんです」婦人はカンカンに怒って、行ってしまう。
「ろくでもない不良の子たちだわ!おまけに、生意気なこと!」帰路、ぼくらは道端に生い茂る草むらの中に、林檎とビスケットとチョコレートと硬貨を投げ捨てる。
 髪に受けた愛撫だけは、捨てることができない。

その後、練習を重ねたぽくらは、目に当てる三角の布も耳に詰める草も必要としなくなった。盲人を演じる者は単に視線を自分の内側に向け、聾者役は、あらゆる音に対して耳を閉じるのだ。

「あのね、泣いても何にもならないよ。ぼくらは絶対に泣かない。まだ一人前でないぼくらでさえ、そうなんだよ。あなたは立派な大人の男じゃないか……」

「いいえ、司祭さん。ぽくたちは戒めを守りはしません。第一、戒めを守っている人なんて、いやしませんよ。 『汝、殺す勿れ』って書かれていますが、その実、誰もが殺すんです

こっちは山ほどの仕事、山ほどの気苦労を引き受けてんだよ。子供は食べさせなきゃならないし、けが人の手当てもしなきゃならない……。それにひきかえ、あんたたちは得だよ。いったん戦争が終わりゃ、みんな英雄なんだからね。戦死して英雄、生き残って英雄、負傷して英雄。それだから戦争を発明したんでしょうが、あんたたち男は。今度の戦争も、あんたたちの戦争なんだ。あんたたちが望んだんだから、泣きごと言わずに、勝手におやんなさいよ、糞喰らえの英雄め!

従卒が、飛行機がぽくらに向かって突き進んでくるときは注意しなければいけない、けれどもその飛行機がぼくらの頭上に達する瞬間にはもう危険は去っているのだ、と教えてくれた

「決心は、事柄を熟知したうえでしなくちゃいけませんよ、おとうさん」

引用:「悪童日記」アゴタ・クリストフ著,堀茂樹翻訳(ハヤカワepi文庫)

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悲惨すぎる内容を感情を交えず事実だけ描かれる

この小説は双子が書いた日記という文体で、4ページ程度の章の連続からなる作品です。さらに作品中は固有名詞が一切使われず、登場人物の名前や、町の名前など全く出てきませんが、どうやら20世紀中ごろの中部ヨーロッパの史実に基づいて書かれているらしく、戦争の陰惨さが伝わってくる内容になっています。

ただし、そこには作者の感情など一切交えず、ただ事実だけを淡々と描かれていくので、読んでいる側としてはそれほどグロッキーにならず、戦時中に起こる動乱や盗み、強姦、町の悲惨な状態などがあまりにあっけなく受け取れるようになっています。

もちろん、それは戦争を軽視するというわけではなく、戦時中ではあまりに当たり前の出来事だという事がひしひしと伝わってきます。戦争を体験していない僕らからすればものを盗んだり人を恐喝したり、まして人を殺したりすることなどいけない事、死体を見れば相当なトラウマになるであろう精神を持っています。しかし、そんな事を言っていたらきっと戦時中は生き残っていけない。この物語の主人公である双子の<ぼくら>は生きるために淡々と環境に適応していくのです。

時には性的いたずらをされたり、同性愛者から愛されたりもしますが、<ぼくら>は全く動じず、その事を淡々と客観的に日記に記しています。

そこに<ぼくら>の強さがあり、この小説を魅力的なものにしています。もちろん、かなりエログロ内容なんで人を選ぶかもしれませんが、エログロな内容を扱いつつも、そこからエログロっぽさが感じられないただの事実として書かれているのです。恐らく、読んでいて不思議な気分になります。あれ?なんか変な感覚じゃないか?あまりにそっけない。

あまりにそっけなくありつつも、次々と事件が起きていくのでついついページをペラペラとめくって気が付けば最後まで読んでしまう。そして残酷な内容に触れたにも関わらず、読み終わった後には爽快感すら感じてしまうのです。

うーん。

なんとも不思議な作品だった。

あまり感傷的な感情抜きな文章とはこれまた新しい。すごく読みやすかったです。

まとめ

この作品には続編があり、

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と三部作になっているようです。

どうやら、次作で双子の名前とかが出てくるみたいで、これらの作品の影響を受けて、シナリオライターの糸井重里は

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を作ったといいます。

この双子の物語がまだ読めるとは結構ワクワクドキドキです。ここまで一気読みした作品は久しぶりだったので、続編の存在に感謝です。早く続きを購入しなければ。

まだ読んだことがないのであれば、さくっと読めるので、グロ耐性やエロ耐性があるあなたにお勧めです。

ぜひぜひ読んでみてくださいませ。本当に4ページぐらいのショートストーリーの連続でサクサク読めて気が付けば読み終わっていたっていう状態になりますから。

ではでは。

悪童日記 (ハヤカワepi文庫 ク 2-1)

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