『顔と鏡とドッペルゲンガー』詩で似ていると同じであることを解説。

顔と鏡とドッペルゲンガー

君が僕と顔が似ていると言ってくれたのはひそかに嬉しかったのです

一緒というのはなんにせよいいものです

僕は自分の顔が好きです

だから君の顔も好きです

君は僕の顔が好きですか?

好きだったら自分の顔も好きなはず 自信を持って下さい

つまりはそういうことなのです

人を大切にすることは 自分を大切にすること

君を大切に出来ていない時は 自分を大切にしていない時なのです

君が幸せなら 僕も幸せです

二人は鏡なのでした

そうなのでした

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顔と鏡とドッペルゲンガーという詩というかラブレターというか

顔と鏡とドッペルゲンガー-01

昔の交換日記に書かれていたシリーズ。僕はこんな事を書いていたのだなぁ…とちょっと恥ずかしさを覚える。でも、なんとなく言っている事は今の僕と考え方が変わっていないのが嬉しい。

やっぱり人は鏡だ。人に嫌われているなぁ…なんて考える時は大抵の場合は、僕がその人のことを快く思っていないのである。

人になにか変なことを言われているのではないか?なんて思う時は、僕がその人の事を変なふうな目で見てしまっているのだ。

僕はまぁ、言ってみれば被害妄想の塊でして、統合失調症の症状もそれが原因だとは思っているわけですが、幻聴が聞こえるのはつまりは、自分が心の奥底でそう考えているのだなぁ。

それを他人が言っているように聞こえるのだなぁって思うのです。

ドッペルゲンガー現象について

顔と鏡とドッペルゲンガー-02

ところで、ドッペルゲンガーを3回みたらその人は死ぬという迷信があります。僕の好きな作家の芥川龍之介もドッペルゲンガーを見たという記録も残っており、実際に不幸な死を遂げた部分もあり、真実味を帯びている迷信なわけですが…。

このドッペルゲンガー。まぁ、言ってみればそっくりなわけです。

自分にそっくり。この自分にそっくりという所が実はすごく重要でして、よくよく趣味が合うみたいな人と仲良くなることがあります。恋愛の話でも趣味が合う人とカップルになるという事もあるんだとは思います。

でもですね、実際の所、趣味が合うというのは全くピッタリではないから成り立つのです。趣味が似ている。でもそっくりではない。細かく見てみるとところどころ違う。だから馬が合う。そういうことなんだと思います。

んでですね、何が言いたいのかと言えば、人間は実はコピーを嫌う性質があると思うのです。完全に同一のもの。

想像してください。あなたは今電車に乗って座っています。あぁ、いい景色だ。電車の旅も良いものだ。

そんなふうに思っていると、目の前に人が座りました。あなたは最初、綺麗な顔をした人だなぁ…なんて思って、ちょっといい気分になったりしました。

だけれども。

その人があなたと全く同じ服を着ていたとしたらどうでしょう

き、気まずい…。

あなたは立ち上がり、別の車両に移るかも知れません。

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アイデンティティは唯一だから良い

顔と鏡とドッペルゲンガー-03

さて、何が言いたいのかと言えば、つまりは似ているからいいのです。同じでは駄目なのです

何となく、人間の本能的に、同じものは嫌います。似ているものは好みます。この微妙な違いが大切だと僕は思うのです。

趣味が一緒で仲良くなることあると思います。顔が似ていると喜ぶ事もあると思います。

でもそれはあくまでも似ているから良いのです。

その先を望んではいけません。一緒になる必要はないのです。すべてが一緒になれば喧嘩になります。でもなぁ、人間って欲張りだからなぁ。何となくやっぱり似ていると、もっともっと近づきたいって思っちゃうよなぁ…。

んで、結果的にまぁ、上手く行かなくなったのでした。僕の交換日記の相手は。ええ。それは僕の経験が物語っているのです。

似ているのっていいなぁ…なんて思った僕が、もっともっと近づきたい。一緒じゃなきゃ嫌だ。なんて考えたわけです。

だから駄目でした。

似ていると一緒なのは別のこと。似ているけれど非なるもの。求めてはいけない。求めた時点でそれは壊れていく。現状を喜ぼう。それ以上を望まないようにしよう。

そんな事を教えてくれる顔と鏡とドッペルゲンガーというポエムでした。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!!

野口明人

ポエム。結構、昔から書いてあって当分は在庫に困らなそうです。ポエムそのものを読んでいてもあまり何の教訓も得られはしないのですが、その時の心情を、時間がたった僕が読むと色々とわかってくる事があるので、面白いです。

ポエムって純粋に思いを込めて書いているでしょう?だからまぁ、その気持ちがいかに周りをみれていないかがわかる言葉なんですよね。

なので、まぁ、自分の過去のポエムを公開しつつ、教訓なんて物を書いていけたらいいなぁ…なんて思うのでした。おそらく検索からは入ってこない書き方なので、ブログ内で検索してくれた人が偶然見つけた変な詩…という立場で書いていこうと思います。

ポエムが文学になるためにはなにが必要なんだろう…。なんでこうも自分の詩というのは笑えてしまうのだろう。文学に近づきたい。

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顔と鏡とドッペルゲンガー
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