『ガダラの豚』を今すぐ読むべき。中島らもはこんなに面白い小説家だ

ガダラの豚

ガダラの豚


著者:中島らも
出版社:集英社(集英社文庫)
出版年月日:1996/5/25
ページ数:292ページ
ISBN-10:4087484807
『ガダラの豚』レビュー
8.5 管理人の総合評価
読みやすさ
為になる
何度も読みたい
面白さ

全三巻。一冊一冊に見所があって、最後まで興奮して面白い本だった。読む本に困ったらぜひ「ガダラの豚」をオススメする。

初めての中島らも。こんなに面白い本を書く人だったなんて。もっと早く読むべきだった。そう率直に感じました。それほど面白いのです。

この本は2chでかなり評価が高かったようで、どのサイトを見てもオススメしてあったので読まなければと思って手に取った本です。

とりあえず、最初の印象。

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なんだこの異質な始まりは…

でした。

最初がどこかのお寺の勤行から始まったからです。あまり見慣れない名前の坊さんとお師匠さんが火に向かって何かしらの行に励んでいるのです。それがまた読みづらい読みづらい。

あぁ。ハズレをつかんでしまったかもしれないな…。

そう思ったのですが、とりあえず頑張って読み進めると、

20ページぐらいで話がガラッと変わる

テレビの討論会のような場面に移ります。さっきまでの読みづらかった文章は単なるエピローグでこっちが本題。マジックと超能力を対立させる番組に呼ばれた、世界の呪術を研究している民俗学者、大生部(おおうべ)教授というのが本作品の主人公。

この大生部さんはおしりの穴、肛門に似ている口をお持ちのデブでアル中のおっさん。これまた大生部という名前は見慣れない名前だなと感じはしましたが、その他の文章が一気にとっつきやすく書かれだしたのであまり気にはならなくなる。

彼は、これまた珍しい名前の道満くんという助手を連れているんですが、その助手と家族と、番組で一緒だった超能力少年の清川と番組制作の人たちとともに呪術者だけで形成されているというアフリカの村に行くことになり、そこでの道中、はたまた日本に帰ってきてからのあれやこれなどが全三巻にわたって繰り広げられています。

この全三巻、一冊一冊の追い込みが素晴らしくて100ページぐらいまではゆっくり読み、残りの3分の1をもうダッシュでページをめくって本に火が付くぐらい面白さが増しに増してくるんです。そしてすぐに次の巻に移りたくなる。3冊と言えば結構敬遠しがちな長さだと思いますが、なんてことない。

終わってみれば短かったとさえ感じてしまう

1巻では、胡散臭い宗教にハマってしまった大生部の奥さんを救い出す話がメイン。これ一冊だけで充分完成されています。どんどん引き込まれていく。超能力はすべてトリックで再現することが出来てしまうと主張するミスターミラクルというおっさんが活躍する。振り返ってみるとこのおっさんが一番好きだった。

2巻では、舞台はアフリカに移り、大呪術師と対談する話。ムアンギというかなり流暢な関西弁を話す通訳を携え、アフリカ奥地に向かっていく。途中ではアフリカの食生活や日本人が抱いているアフリカのイメージと実際のギャップの話などかなり為になる話が多く、自分も旅をしている気分になる。1巻に比べると結構流れがゆっくりで中だるみしてしまう人もいるかもしれないが、この2巻のほとんどが伏線なのがすごい。出来れば背表紙は読まないで読んでもらいたい。

3巻では、日本に戻った後のフィナーレ。2巻で流れていたゆるいムードが一変。いったん動き出した地球の崩壊が止まらないようにこの本の中の殺人が止まらなくなる。今まで愛着すらわいてきていたのでは?と思える脇役たちがあっけなく変死していく。そこで、あぁ、僕はこのキャラが好きだったんだなと気が付く。止まらない呪術師の呪いと主人公大生部の対決。大団円。

長編小説でここまで飽きもせずに読めたものは初めてでした

3巻すべてに同じ登場人物が出ていながら、すべて違う本なのではないか?と思えるぐらいテーマが豊富なのが要因でしょう。しかし、根底ではずーっと太い根っこをはっている。

とにかくね、説明しても全然話の面白さが伝えられないぐらいこの本は面白いのです。ジャンルで言えば推理小説になるんだと思いますが、冒険小説としても通るし、自己啓発本としても通るし、自分の価値観を変えてくれるような内容でもあるでしょう。

つまりは、本を読みたいけれどどの本を読めばいいか決まらないなら、とにかくこの本を読め!と迷わずにオススメ出来るぐらい面白い本なのです。中島らも、すごいです。単なる大麻吸って捕まったおっさんではなかった。(そんなイメージしか持っていなかったです。正直。)

うまくまとめられていないですけど、そんな感じでした。

最後にこの本で印象に残った文章を引用して終わります。

この本で印象に残った文章

「人間というものは、良い縁があって、霊的に目醒めない限り、消極的な生き方しかできないものなのです。
自分の心を開いて他人に接することができない。
あるいは行動にしても、“するか”“しないか”の選択であれば、しないほうを選ぶ。
そういう消極的な生き方をしていった結果、人聞はどうなるか。
不幸になります。
電気掃除機は、スイッチを入れなければ働きません。
運命も同じことです。
今のあなた方の状態は、スイッチも入れずにただ掃除機を眺めている。
それでもって、部屋がどんどん汚れていくと文句を言っているようなものです」

体に便秘があるように、魂にも便秘があるのです。

男はな、“肌”だ

警察の取調べを考えてみてください。
何日も寝不足の状態の容疑者を延々と同じ部屋で誘導尋問する。
あれが洗脳の基本パターンです。
頭が空白になった容疑者の中には、自分が殺人をおかしたとほんとうに信じ込む人間もいるほどです

私たちのものの考え方というのは、信頼をベースに置いた思考方法です。
世の中が悪意のある人間ばかりで、我々をだましにかかろうとしている、といったものの見方は普通はしないものです。
ニュースを見ればそれを事実だと思うし、手紙がくれば、それは差し出し人本人が書いたものだと考える。
つまり信じることが思考の基本になっている

「私だってそうですよ。
帽子から鳩を出すような平和主義者ですから」

手で食べるのが一番うまいんやで。手でいつつも食べてると、フォークとかスプーンとか使うのいやになるで。
ぷぅんと金属の匂いと味がしてな

人聞は、いつだって悲惨よ。それが人間の常態なのよ。
でも、それでも前へ進んでいくでしょ、人間は。宗教は…よくわからないけど、人聞に薄い膜をかけるわ」

水野は自慢気なムアンギの講釈を聞きながら、永遠に続くかのような茶畑を眺めていた。
のどかな光景だが、これだって植民地主義が押しつけた独善の名残りには違いない。

「淡水魚って、食べたらいけないの? 」
逸美が答える。
「生ではね。ちゃんと火さえ入れとけば大丈夫なんだけど」
「何がいけないの」
「一番多いのは、ジストマ菌ね。
日本だとザリガニ、モクズガニ、そのほかいろんな魚に寄生してるのよ。
あと、たとえばドジョウは顎虫って寄生虫がいるし、ドジョウの丸呑みなんて流行ってるらしいけど、やらせる店のほうが無知なのよ。
とにかく淡水魚は火を通してから食べること。
これは鉄則よ」

多くの場合、不幸は知ることによってもたらされる。だから心優しい神は、人間のほとんどを馬鹿者に造られたのだ」

人は自分の魂をちぎって投げるんだ。それが言葉だ

こんな率直な男に会ったのは初めてだ、と大生部は思った。
開けっ放しだ。そのくせ、奥が見えないのだ。率直な男というのは馬鹿か賢人かのどちらかだ。

病気というのはね、人間のひとつの“表現”でもあるのよ。

自殺するのは地球上の生物の中で人間だけよ。
それは、人聞が社会を持った存在だからよ

社会的存在である人聞にとっては、死ぬこともまたひとつの“表現”なのよ

「もう、四十年近くマジックをやってるんだ。
あたしゃ、夕ネも仕掛けもない」なんてのが大嫌いでね。
わけのわからないのは、人生だけでたくさんだ」

以上、「ガダラの豚」 中島らも著 集英社文庫より引用。

以上。

ありがとうございました。

あ、最後にひとつケチをつけるとしたら、愛着がわいていたキャラがあっさり死んじゃう事。それだけです。

ではでは。

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