ブログ小説の十一回目の更新。幸せのカタチについて。
レミオロメンというバンドの2007年のシングルに「蛍/RUN」という両A面シングルがあります。しかし実はこのシングルは3曲入で3曲目が「幸せのカタチ」という曲なのです。
僕は当時、この幸せのカタチをよく聴いていました。今回のブログ小説の原文もタイトルが「幸せの形」になっていたのですが、おそらくだいぶ影響を受けていたのでしょう。
なんというか、昔から僕はシングル曲よりもカップリング曲の方が好きなことが多いんですよね。aikoの「二時頃」という曲もカップリング曲で、すごいいい曲なのにカラオケでは誰も知らんっていう。
そういう普段は陽の影に隠れてしまうものにこそ、焦点を当てたいと昔から思っているんですが、今回はまさにそんな感じの内容です。
表しかみていない人間は、それに裏側があることを忘れてしまう。
…という事で、過去に書いた小説をブログ形式に変換して投稿していく企画。小説自体のタイトルは映画のような人生をです。
全部で39章分あるのですが、今回はその中で第十一章「幸せのカタチ」をお送りしたいと思います。よろしくどうぞ。
【ブログ小説】映画のような人生を:第十一章「幸せのカタチ」
千秋さんはぼくの目の奥の方を覗き込むように質問してきた。
「そうですね。ぼくなりの考えでいいんですよね。うーん。地位と名誉ですかね。どれだけ人に求められたかとか。例えばナポレオンとかジャンヌ・ダルクは価値のある人間だと思いますね。教科書に載るような人は価値がある人達だと思います」
フランス文学を専攻している千秋さんに気に入られるようにフランスの偉人を例に出す。
「そうね。そういう考えもあるわね。確かに人の一生の価値を量るには、人にどれだけ知られたか、認められたかはその人の確立した社会的地位と比例するし、その人のやった功績が社会に知られると名誉も手に入れられるわ。その二つが揃うと、人々はその人を求めるようになる。それを人の一生の価値基準とする事も出来なくはないわね。それじゃ、伊波君。今度は、人の幸せって何で決まると思う?」
千秋さんはぼくに少し近づきながら聞いてきた。花嫁が持つブーケのような甘美な匂いがした。
「えーっと。人の幸せですか。一緒じゃないですかね。地位や名誉を手に入れたら幸せに感じると思います。ぼくの場合ですけど」
千秋さんの匂いに魅せられ、あまり考えることなく答えてしまう。
「うーん。そこは私とは違うわね。もちろん幸せの基準なんてものは人それぞれ違うからいいのだけれど、私は自分で自分を認められるかどうかで幸せって決まると思うのよ」
「自分で自分を?」
「あまり例えはよくないかもしれないけれど、ヒトラーっていたじゃない。彼は地位も名誉も手に入れた。戦争の時代にはかなり多くの人に求められた。日本でもあの時代には英雄として扱われていたわ。伊波君の言うとおり、彼は教科書に載るような人物ね」
「ええ。誰もが知っている人物になりましたね」
「でもヒトラー自身が、自分の人生は幸せな人生だったと思っていたかしら?」
「うーむ。最後の方は苦悩の連続でしょうが、そこまでは幸せな人生を送ったんじゃないですか?国のトップになったわけですし」
「私、彼に興味があってね、彼の自伝を読んでみたり、個人的に調べてみたりしたんだけど、彼の人生は葛藤の繰り返しなのよ」
「自伝って我が闘争ですよね。ドイツ文学にも手を出しているんですね」
「私にとって国は関係ないの。どれかに属さなければならなかったからフランス文学を選択しただけなのよ。たまたま。彼ももしかしたらそうだったのかもしれない。これでいいのか。自分がやっていることは本当に正しいのか。その繰り返し」
「あー。なんとなくその気持ち、わかります」
「言葉の上ではっきりとは言っていないし、わかるような弱音を吐いているわけではないのよ。でもね彼の言動や行動を追っていくと、ヒトラーという人物の心の葛藤が節々に私には見えてくるのよ。教科書には書かれない内容だけどね」
「教科書は誰かの意志が入っているものですからね。ヒトラーの心の葛藤は知らなくても良いことだったのでしょう」
「たとえば、彼は古典芸術に興味があってね。日本の古典美術展に来日した時は平清盛像を熱心に見ていたほどよ。自分でも『私には絵の才能がある』と公言もしている」
「へー。平清盛を熱心に見ているヒトラー。なんか上手く想像出来ないな」
「実際に彼は画家を目指していたのよ。政治家じゃなくてね。でもね、そのことに関しては父親が猛反対した。父親は彼に官吏になって欲しかったのね。芸術家はお金に苦労するから安定した官吏になって欲しいって。でも、ヒトラーは絶対に官吏になどなりたくなかった。父が官吏になることを押し付ければ押し付けるほど嫌になっていった。しかし逆に父と口論すればするほど自分が美術画家になりたい事を認識する」
「そういう夢のようなものを持っている人は羨ましいです」
「口論に決着はつかなかった。どちらも譲らなかったのね。だから彼は沈黙する事を選ぶ。無言の抵抗をするのよ。学校の授業を放棄することにしたの。官吏に必要なものが備わっていないとわかれば父も諦めるだろうって。でもその父親とのすれ違いも意外な結末を迎える。父親が病気で亡くなってしまうのね」
ぼくは喧嘩のさなか自分の父親が病気で亡くなってしまう場面を想像してみた。しかし、いまいちピンとこなかった。口喧嘩でさえ想像出来ない。
「そういう終わり方でよかったのかどうかはわからないけどね。母親だけになった時に彼は美術学校に行きたいと母親に申告する。母親も初めは父親の考えを引き継いでいたんだけど、ちょうどその頃、ヒトラーは肺結核になって、通っていた官吏になるための学校も休まないといけなくなった」
「肺結核ですか。その当時は相当重い病気ですよね?」
「今でも重い病気であることは間違いないわ。それで母親は認めてあげたのよ。美術学校に行っていいよってね。あれだけ口論して、自分じゃ叶えられなかった希望が肺結核っていう自分の意志とは別の力によってあっさり叶ってしまった。この事について、夢が叶ったのだけれど、またそれは夢に過ぎなかったと彼は言っている」
「夢って叶う事が目的じゃなくて、叶える過程が目的みたいな所ありますよね」
「その二年後、彼は美術大学の試験を受ける為に一人、ヴィーンに行くのだけれど、その学校に二回落ちているわ。古典芸術に憧れがあった為か、模倣に過ぎず、創造性に乏しいというのが不合格の理由。自分は絵が好き。自分が創りたいものを作りたい。でも周りはそれを認めてくれない。才能貧弱。入試絵画不可」
「ヒトラーってそんな経験をしているんですね。初めて知りました」
「それなら画家よりも建築家なんてどうだと学校側に薦められ、古典芸術の建物を見ることも好きだった彼は、その気になった。『実は私は絵よりも建築の方が好きだったのだ』と自分に言い聞かせて」
「意外とどこにでもいそうな大学生っぽい」
「ただ、建築の学校に行く事も条件が伴ってなくて叶わなかった。それは彼が父親に無言の抵抗をすることにした授業の放棄の報いが来たのね。自分の夢の可能性を否定された彼の絶望は大きなものだったと思う。それに重ねて彼の母は乳がんになって、亡くなってしまったわ」
「不運は不幸は重なるものですね」
「その時に彼はひどくショックを受けてね、父を尊敬し、母を愛していたことに気が付いたの。でも、もう遅い。二人ともこの世にはいないのだから」
ぼくは自分の両親がこの世からいなくなってしまう事を想像してみた。しかし、どうにも現実味がない。父を尊敬し、母を愛していた。その言葉はぼくの世界には存在しないようだった。
「そして彼はこの時期、ヴィーンで同居していた友人の前から失踪している。それは美術大学の受験に失敗した恥ずかしさからとは言われているけれど、私は自分探しに出たんじゃないかと考えている」
「ヒトラーが自分探しを?」
「ええ。周りが駄目だと言っても、自分は芸術の道に進みたかったんじゃないかな。人が認めなくても、自分さえ認めていれば人間は強く行動出来るものだから」
「自分が自分を認める事が一番難しそうですけどね」
「まぁ彼自身も、この頃の自分の行動をちゃちな画工と言っているけど、絵葉書を書いて、それを売って生活していた。父親と母親を亡くした彼は、自分で稼いで生きていかないといけなかったから、生活の糧として自分のやれることをやっていたの」
「若くして両親を亡くしたんですね。ぼくには考えられないや」
「そうやって空腹と闘いながら孤独を埋める為に本をひたすら読む生活をしていた。ただ、時代は戦争の時代じゃない? 周りには戦争に関して書いてある書物がいっぱいだったのね。そのことに段々傾倒していった」
「そこから徐々にみんなの知っているヒトラー像が作り上げられていくのかな?」
「その時期でも彼は芸術に関係する仲間たちとよく会話をしていたのよ。それにワーグナーを聴いたり、空腹を我慢してでも劇場に足を運んだりもしていた。最初から歴史で語られるような政治的な人物ではなかったという事ね」
「確かに、すでにぼくが思っているヒトラーとはだいぶ違うイメージです」
「彼が変わったのは第一次世界大戦で兵隊に志願してから。彼は一時的に失明する。原因はヒステリーなのか戦時中の毒ガスにやられたのかよくわからないのだけれど、目が見えなくなった自分自身について考えてみたのよ」
あまりにも今まで抱いていた独裁者ヒトラーのイメージと違いすぎて、ぼくは少し困惑していた。今まで勉強してきたものはなんだったのだろうか。教科書の上に書かれた名前だけを覚えてその人物をわかった気になっている自分。わかったつもりになっている事は一体どれほどあるのだろう。
「自分の価値はどこにあるのか。自分の使命は何なのか。その彼の答えがドイツを守る事という結論に達したのは時代が時代なだけに当然の帰結なのかもしれない。そこから物事を徹底的に考える癖がついたのね」
ここで千秋さんはぼくの胸ポケットを一瞥した。
「あまり知られていないけれど、彼は人間に残虐的だったわけじゃない。ドイツを愛しすぎていただけなのよ。その証拠に、健康政策なんていうものまで出しているのよ。煙草を吸うのは辞めましょう。健康に悪いですよってね。日本でも煙草のパッケージにガンになるリスクが高まりますなんて書いてあるけど、煙草とガンのリスクの繋がりを発見したのはヒトラーの政策のおかげだったりするのよね。面白いでしょ。伊波君は煙草吸う?」
千秋さんは右手で煙草を吸う仕草を真似た。
「ええ。ぼくは結構なヘビースモーカーですね。一日三箱は吸っているかもしれません。千秋さんはお吸いになられるんですか?」
「私は吸わないわね」と言った千秋さんの言葉になぜかぼくは安心した。これはぼくの勝手なエゴかもしれないが、千秋さんに煙草は似合わない。
「俺も吸わん」と千葉が横から言った。気がつくと千葉はぼくがおばちゃんにもらったヨーグルトを勝手に食べていた。
こいつは……などと思いながら、ポケットからロングピースを取り出し、パッケージを見てみると確かにガンと煙草のリスクについて書かれていた。
これはヒトラーのおかげなのか。歴史が自分の手の中に納まっているようで変な感じがした。
「話それちゃったね。それでね」と千秋さんは髪をかきあげて小さい耳を見せる。
「彼は政策について色々悩んでいたのよ。それで側近のヒムラーという人に相談した。ヒムラーは知ってる?」
「ハインリヒ・ヒムラー。ユダヤ人絶滅政策を実行した張本人ですよね?」
「そうね。私はその事に対して賛成はしない立場なんだけど、多くの人のイメージに勘違いがあるのは事実だと思うの。ヒトラーとこのヒムラーは無差別に虐殺しようとしたわけではないのね」
「ユダヤ人が嫌いだったからって事じゃないんですか?」
「一般的にそのイメージが強いわよね。人間に優劣をつけるっていうのも私は嫌いなのだけれど、ユダヤの人たちはその当時、奴隷労働者として扱われていたの。戦時中の話。戦時中だから食糧も底をついてくる。そこで働けなくなった人まで養っていてはドイツという国が持たなくなっていた状況だったのよ。だから労働不能者になってしまった人を毒ガスで殺した。そうやってドイツの食事情から国民を守ろうとした。そういう理由があったわけ」
「あ、福沢諭吉も『学問のすゝめ』の中で天は人の上に人を作らずって言ったように思われていますけど、あれもそんな事言いながら世の中は上下関係があるって話でしたからね。人間は都合の良いように解釈しますよね」
「理由があったからって人の命を勝手に奪うことは正しくない事だと思うけど、戦争ってそういう普通じゃないことが普通になってしまう状況なのよね。戦争に正しい正しくないっていう価値観を持ち込むのは間違いかもしれないけれど、戦争の最終目的は自分の国を救う事にあると思う」
最終目的が自分の国を救う事だとしたら、結果はどうなのだろう。戦争に勝った国は救われたのだろうか。ぼくは頭の中で二重の音声と闘っていた。
「だからヒトラーはね、その主導者として国を救済して、国を繁栄させるために究極の行動をしていたとも言える。国民からしてみれば自分の国を守ってくれるヒーローなわけ」
段々と千秋さんの声が現実のもののように思えなくなってきた。これはどっちの声だろう。
「だけどね、戦況が悪くなるにつれて、周りが自分の言う事を聞かなくなってくるのね。今までヒーロー扱いしていたのに。最終的に側近だったヒムラーにも勝手に行動され、彼は疑心暗鬼に陥る」
都合が悪くなれば簡単に裏切る。人間同士の関わり合いなんて、期限付きのクーポン券さ。
「自分はドイツを守るんだという使命の為に今まで行動してきたのに、国民も政府も側近までも自分を裏切った。自分の行いは間違っていたのか。正しくなかったのか。私の人生の価値はなんだったのか。そう感じながら彼は最後に自殺したわけ」
人生の価値はなんなのか。正しいとは。間違うとは。死は常に目の前にあった。
「きっとヒトラーは時代が時代なら、絵を書いたりディズニーを観たり、車に乗ったりしているだけの生活の方が幸せだったんじゃないかな。地位や名誉などがなくてもね」
「ディズニーって、ウォルト・ディズニー?」千葉がヨーグルトを食べ終えたらしく、ハンカチで口を拭いながら言った。
「そう。ヒトラーって、ウォルト・ディズニーが大好きだったのよ。ちょっと親しみがわかない? チョビ髭のおじさんがディズニーを見てにこにこしている姿を想像すると、ヒトラーも普通のおじさんだったんだなって私は思う」
「チョビ髭て、千秋ちゃん親近感沸きすぎやろ。親戚のおっちゃんやないんやから」
「でも、そのチョビおじさんが関与した、ヴォルクスワーゲン社のビートルもなんだかんだで、世界で一番生産された自動車らしいしさ。チョビおじさんが死んだあとの話だけどね。フォルクスワーゲンって国民の車って意味らしいのよ。どれだけチョビさんがドイツを愛していたかわかるわね」
「最終的にチョビさんってあだ名になっとるがな」
「長くなっちゃったけど、これが地位とか名誉があっても幸せだとは限らない例。私はね、人が認めてくれようがくれまいが、自分の事を自分で認められさえすれば人間は幸せなんだろうなって思う。最期に死ぬ時に自分の人生を振り返ってみて笑えたら勝ち組じゃない?」
千秋さんはにっこり笑った。
ぼくのイメージでは厳格なヒトラーが途中からチョビさん呼ばわりだった事が妙におかしく思えた。
「まだぼくは知識が足らないので、人生に勝ち負けがあるのかはわかりませんけど、自分も死ぬ時には笑って死にたいですね」
ちょっとはにかみながらぼくは答えた。気がつけば一つの声は消えていた。
「それでさ」
まるでその声が消えるのを待っていたかのように、千秋さんは深刻な顔になりながら言った。
【ブログ小説】映画のような人生を:第十一章「幸せのカタチ」あとがき
幸せのカタチ、いかがでしたでしょうか。今までで一番長かった章じゃないかな。
でもね。実はこの章がむちゃくちゃ評判が悪かったのです。とにかく長い!と。
ブログ小説にしたら、行間を空けているので、それほど窮屈に感じないかもしれませんが、当時は原稿用紙に書かれていたものを渡していたので、千秋の喋る言葉が長すぎて読みづらいと言われていました。
しかも、前の原稿の時は、全部がひとつのカギカッコで書かれていたんですよ。千秋が一人でひたすら喋り続ける場面で。
僕は個人的には女性の喋り方ってそういう感じだと思っていたので、そのまま表現したんですが、今回それを読み直してみるとたしかに読みづらい。
なので、大幅に加筆修正いたしました。もしかしたら、この事で今後のストーリーが変わってくるかもしれません。39回と書いていましたが、増えたり減ったりするかもです。
原作の「花」とはちょっと違う感じで書きたいと思っていまして、ここがひとつの分岐点かな。
ではでは、【ブログ小説】映画のような人生を:第十一章「幸せのカタチ」でした。
野口明人
ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。
【ブログ小説】映画のような人生を:次回予告
注意:
ここから先は次回の内容をほんの少しだけ含みますが、本当に「ほんの少し」です。続きが気になって仕方がないという場合は、ここから先を読まずに次回の更新をお待ち下さいませ。
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「伊波君は、自分が自分である証明って出来る?」と千秋さんは右手人差し指を立てながら哲学的な事を言い出した。
次回へ続く!
【ブログ小説】映画のような人生を:今回のおすすめ
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映画のような人生を