【ブログ小説】映画のような人生を:第十三章「コースター」

ブログ小説の十三回目の更新。コースターについて。

コースターと言えば、まず最初に思い浮かぶのはジェットコースターかもしれませんが、今回扱っているのはそれではございません。

飲み物のグラスの下に敷く方のコースターです。

あれは冷たい飲み物によって起きる結露で机が濡れるのを防ぐためと思われていますが、実は最初の方はそれ以外の使われ方もしていたんですよ。

なんだかわかりますか?今回の小説の中にそのヒントが隠されているかもしれません

…という事で、過去に書いた小説をブログ形式に変換して投稿していく企画。小説自体のタイトルは映画のような人生をです。

全部で39章分あるのですが、今回はその中で第十三章「コースター」をお送りしたいと思います。よろしくどうぞ。

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【ブログ小説】映画のような人生を:第十三章「コースター」

ブログ小説-映画のような人生を-コースター-あらすじ

 その日の夜、千葉と一緒にサークル決まった記念でバーに飲みに行った。場所は大学からそう離れていない小さめのバーで、クラシックの曲が流れていた。バーに行くのは生まれて初めてだった。都会の匂いがした。

「千葉は色々な所知ってるのな」

 ぼくは千葉に言った。

「やっぱり、自分が行っている大学やしな。俺、何事も知らないでいることが嫌やねん。せやから入学以来、散策しまくってここいらのお店はほとんど一度は入ったで。そんなかでもここは安くて酒がうまいお店や。伊波、何飲む?」

「あ、ぼくはジンがいい」

「おっ、知っとるか。ジンって昔は労働者のお酒だったらしいんよ。それが今や、カクテルの王様とか言われるマティーニのベースになるわけやから、わからんもんよね。伊波はジンやったら主に何飲むん?」

「ぼくはボンベイ・サファイアとかビーフィータージンが多いな。まぁ、まだ飲み始めたばかりだから詳しくはわからないけどな」

「ボンベイは瓶が綺麗やし、飲みやすいからな。それやったら、ちょっと趣向を変えて、ジェネヴァなんてどうや。普通、伊波が飲んどるのって、ドライジンって言われてロンドンで作られているのが主流なんやけど、ジェネヴァはオランダのジンなんよ。ジンの起源とか言われているお酒や。昔は薬用酒って言って小便出すための薬だったんやけど、うますぎて、普通に飲まれるようになったんやて」

 千葉はメガネをかけてもいないのにメガネを触る仕草をして、得意げに言った。

「お前、本当に物知りだな。女子にもモテるだろ」と心に思ったことをそのまま言った。

「伊波は浅はかやね。見てみい、この頭」

 千葉は坊主頭をぺしぺし叩いてみせた。

「いや、別に坊主頭だからってモテないわけじゃないと思うが」

「いいんよ、別にモテなくても。さっきも言ったけど、知らんことが嫌やねん。なんでも知っていたいっていう結果、ちょっとばかし人より詳しくなるだけの話や。それよりも はよ頼も頼も」

「それじゃ、千葉がさっき言ったやつで」

「ジェネヴァやな。飲み方はストレートがええと思う。俺はキューバ・リブレにしよか」

 千葉はバーテンダーに注文した。

「ところで、千葉は心理学専修なんだな」

 ぼくは千葉についてほとんど何も知らない事に気がつき質問をした。

「そやね。心理学の授業おもろいで。先生が偉そうに講義たれとるんやけど、誰も聞いてへん。先生、人の心わかるんちゃうんかいってツッコみたくなるわ」

「大学の授業って大人数のものが多いからな。ぼくもあんなに先生が小っちゃく見えるなんて思ってもなかったよ。だいぶイメージと違うよな。大学入る前と入った後じゃ」

「そうか? 俺はイメージ通りやったで。こんなもんや大学なんて。要は自主性やな。高校まではクラスっちゅうもんがあるやろ。大体三十人とかそのぐらいで先生が授業を受け持ってな。休んだりしても、その日のプリントとか取っておいてくれたりしてな。管理が行き届いてんねん。言ってみれば学校に依存して生活するのが高校生までの学生や」

「確かに高校まではクラスって大きな枠として存在していたな」

「でも大学はそうじゃない。名前からして大きい学校なんやから、規模もデカくなる。そうなると自主的に何かをしなくちゃ相手は何もしてくれへん。俺が風邪で休もうがサボろうが関係ないねん。目が届かんのやもん、それは仕方ないで」

「ぼくが学校に行かなくなっても誰の目にも届かない」

「ただ、逆に自分から何かやりたいと動いて、相手の目の届く位置にいけば、ほとんどの事は可能にしてくれる場所なんやで。依存していたら何もしてくれん場所やけど、だからこそ自立を促してくれる場所なんやないかな」

「自立を促す場所か」

「大人数の授業かて、前の席に座れば先生の顔も、よう見える。高校と違って決まった席なんてないんやからそこは自由や。様々なところが自由なんやな。ある意味」

「自由に選ぶと、ぼくはいっつも後ろの席に座ってしまうよ」

「ほとんどの学生はこの自由っていう意味をはき違えとるんよな」

「どういう風に?」

「自由って不安定ってことやで。自由を望むくせに、安定したいなんて思うとる学生が多すぎんねん。矛盾や矛盾。たとえば神様は人間にそれほど自由を与えんかった。伊波は空飛べへんやろ?」

「まぁ、ぼくだけじゃなくほとんどの人間は飛べないだろうな。飛行機とか使わなきゃ飛べないね」

「せやねん。人間は飛ぶ自由を奪われた。地面に足をつけなさいと強制された。でもそれで安定すんねん。不安定から抜け出せんねん。もし神様が人間に自由を与えたら、今頃人間はカオス状態やな。何したらええかわかってへんと思う。ある程度の不自由さと束縛があるから纏まるんよ。人間って束縛されるのが好きなんよね、意外と。テレビじゃ自由、自由ってうるさいけどな」

 千葉の言葉が終わる頃、二人の前にお酒が出された。

「ぼくもそう思う」

 それぐらいしか言えなかった。全く千葉の言うとおりだった。

 人間はないものねだりの連続なのかもしれない。千秋さんが言っていたヒトラーの時代にすれば、自由は本当に望まれたものだったかもしれない。でも今はどうだ。強制収容所に入れられることもなく、労働を強いられることもない。管理されることはほとんどなくなった。昔に比べれば随分と自由を手に入れただろう。

 それでも法律やら年金やら会社やら至る所に管理される為の環境が存在し、わざわざぼくら人間はその中で暮らそうとしている。管理され過ぎれば不満を漏らし、管理されなくなれば不安になる。

 ぼくはどうだ。まさにそんな人間ではないか。自由の少ない実家にいる時は不満を漏らし、都会に憧れ、都会に来た途端、誰にも相手にされないことに不安になる。自分勝手だ。

「千葉はさ、大学に来て、孤独って感じた事はないのか」

 ジェネヴァを口にする。まろやかだった。

「どうやろな。あんまり考えたことないな。孤独とかの問題よりも、やりたいこと一杯あんねん。寝るのも惜しいぐらいや。忙しくて孤独さを感じる暇がないってのが本当の所やろな」

 千葉はグラスの氷をくるくる回した。

「羨ましいな。お前みたいになりたいよ、本当に」

「そんなことないやろ。俺はしょうもない人間やで。まだまだや」

 千葉がしょうもない人間ならばぼくは何なのだろう。ゴミか。クズか。部屋にいてもぼくはクズだと感じる。こうやって友達が横にいてもぼくはクズだと感じる。もう逃げ場所はなかった。ぼくはクズなんだ。

「なんで泣いてんねん、伊波」

 千葉に言われてから自分が泣いていることに気がついた。都会に来てから何度涙を流したことだろう。この街はどんなドラマよりもぼくを泣かせる。

「なんか自分が嫌いで嫌いで仕方なくなってしまったから、それが悔しくて涙が出る」

「伊波は本当に泣き虫なんやな。そんな自分を嫌いになる必要ないやんか。俺は伊波の事好きやで。まだちょっとしか関わってへんけど、それでも好きなんやもん。もっと長い時間関わったらもっともっと好きになるできっと」

「お前は本当にかっこいいよ」

「褒め過ぎやって。ところで伊波は、なんでうちの大学受けよったん」

 千葉に言われてぼくは答えられなかった。答える代わりにジェネヴァを飲み干した。

「同じのでええか」と千葉はバーテンダーにジェネヴァを注文してくれた。お店にはショパンの『雨だれのプレリュード』が流れていた。ショパンの曲は実に静かで哀しい。

「ぼくは昔っから自分の事を特別だと思っていたんだよ」

 ジェネヴァを何杯か飲んだ後、気がつくと自分の中の闇を吐き出すように千葉に語りかけていた。

「そうなんや。それで」

「高校までは実家のある田舎町に住んでいたから、何の変化もなかった。それは仕方がないと自分でも納得できた。いくらぼくが特別だとしてもステージに立たなければ輝かない。だからこっちの大学に行きたかったんだ。正直、この大学じゃなければいけないってわけじゃなかった。たまたまこの大学に受かったから入ったってだけ。それが理由」

「なるほどなー」

「しょうもないだろ。たいした動機もなく、都会に憧れたってだけで入った大学だったから、いざ学生を始めてみたら何も出来なかった。さっき千葉が言った自主性なんてものはなく、都会がぼくを変えてくれるもんだと思っていたから。周りはぼくに何もしてくれない。ぼくは何もしようともしない。それじゃぁ何も変化は起きない。こっちに来て学んだのは孤独の怖さだけだ」

「伊波、三木清って知っとる?」

「いや、知らない。すまん」

「ええねん。俺、心理学やっとるやろ。それで先生に教えてもろたお偉い哲学者さんなんやけど、この人の書いたもので人生論ノートってあんねん。そこでこんなん書いてあったで」と千葉はキューバ・リブレの入ったグラスを横に動かし、下に敷いてあった紙のコースターに文字を書き始めた。そこにはこう書いてあった。

  孤独は山になく、街にある。

  一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の”間”にある。

「な? 今、伊波が言っとったことそのままやろ。つまりな、伊波はその若さにして、お偉い哲学者さんと同じ境地にたどり着いたっちゅうわけや。伊波、お前充分、特別やんか。俺はそんな伊波を尊敬する」

 千葉は自分の頭をぺしぺし叩いた。

 ぼくは只々、泣くことしかできなかった。千葉に出会えてよかったと心から思った。

【ブログ小説】映画のような人生を:第十三章「コースター」あとがき

ブログ小説-映画のような人生を-コースター-あとがき

以前、第八章「頭痛という魔物」でブログ小説を書くときに気をつけなければならない事を書きました。そして実際に元の小説に書かれていた言葉を、若干言葉を濁して書き直しました。

今回の内容もぶっちゃけ、言葉を濁さねばならない内容だとは思ったのですが、今回はどうしても流れ的に言葉を変更したくなくて、そのままの表現で書きました。

もしお偉いさん達に怒られたりしたら、対応いたします。多分大丈夫だとは思うんですけどね。

さてさて。前置きはこんな感じにしておいて、コースターの使い方についてですが、わかりましたか?

え?コースターの裏に文字を書いたりして、連絡先交換をするですって?

いやいやいや。

コースターは、実は昔、蓋として使われていたらしいんですよ。

カフェとかがまだない時代に、樹の下とかでコップを使うと、そのコップの中に落ち葉が入ったり、はたまた虫が入ったりすることが多々あったらしいんです。

その侵入を防ぐためにコースターが蓋として使われていて、飲むときに下に敷くようになったのが始まりらしい。

…なーんていうそれっぽい豆知識。本当かどうかはわかりません。しかしその証拠として、ドイツではコースターの事をビアデッケル(ビールの蓋)と呼ぶそうですよ。

それにしても。

今回の章を読み返してみて、伊波の語っている言葉が、あまりにも昔の僕と同じ考えすぎて、胸が痛くなりました。

十数年前の文章なのでね、自分でも何書いたか忘れているんですけど、書いたものを読んでみると、あー、やっぱり僕が書いたんだなぁってわかる文章でした。

どうなんだろう。伊波は共感を生む主人公なんだろうか。それともうじうじし過ぎて嫌われてしまうキャラクターなんだろうか。

どちらにしても、僕の分身のような感じがしてしまうので、恥ずかしさがありますね。伊波には幸せになってほしいなぁ。僕ならいつでも相談に乗るんだけどなぁ〜。

ではでは、【ブログ小説】映画のような人生を:第十三章「コースター」でした。

野口明人

ここまで読んでいただき本当にありがとうございます!!

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【ブログ小説】映画のような人生を:次回予告

ブログ小説-映画のような人生を-次回予告

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ここから先は次回の内容をほんの少しだけ含みますが、本当に「ほんの少し」です。続きが気になって仕方がないという場合は、ここから先を読まずに次回の更新をお待ち下さいませ。


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 その日は千葉と朝までそのバーで飲み明かした。店を出るころには喉は酒に焼かれてしゃがれた声になっていた。随分と泣いた。飲んだ酒と泣いた涙とどちらが多かったかわからないぐらい泣いた。

次回へ続く!

【ブログ小説】映画のような人生を:今回のおすすめ

人生論ノート
4

著者:三木清
出版:新潮社

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