【ブログ小説】映画のような人生を:第三十二章「疑惑」

ブログ小説の三十二回目の更新。疑惑について。

疑惑が一度生まれてしまうと、それを拭い去るには何倍もの時間がかかってしまうのが人間の常。良い噂は信じないのに、悪い噂は無条件に信じてしまう

それでは駄目だと相手を信じ、信じ切った先にやっぱり最後は疑惑通りだったみたいな物語って案外多いですよね。映画で言えば『真実の行方』とかまさにそうだった気がします。

相手を信じ、勝訴を勝ち取った弁護士が喜びの中、犯人に真実を告げられ絶望した顔で終わる。あぁ、やっぱりそうだったか…。と観ているこっちも思ってしまうから、疑惑というのは厄介なもの。

そんな人間の心理は政治の世界では度々利用されます。支持率を下げるのは簡単です。疑惑を人々に埋め込めばいいだけなのです。それが事実かどうかなんて関係ありません。

火のない所に煙は立たぬってことわざもあるぐらいです。事実がどうであれ、怪しいなという感情さえ埋め込んでしまえば、人はあっという間にその人の事を悪だと思いこんでしまいます

…という事で、ここからは過去に書いた小説をブログ形式に変換して投稿していく企画。映画のような人生をというブログ小説をお送りします。

全部で39章分あるのですが、今回はその中で第三十二章「疑惑」をお送りしたいと思います。どうぞよろしく。

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【ブログ小説】映画のような人生を:第三十二章「疑惑」

ブログ小説-映画のような人生を-疑惑-あらすじ

 わからない事はその後も起こった。それはぼくが初めて神田さんに会った時の事だ。

 神田さんはぼくの憧れだった。自分と同じ悩みを持っていた人。出発点は一緒なのに、すでにぼくとは全然違う場所にいる人。ぼくのゴールになるであろう人。ぼくが登らなければならない山を登り切り、きれいな景色を眺めている。

 その人がどのような人なのか、実際に会って話をしたかった。なかなか会えなかったから期待も大きくなっていた。ぼくの心の中では雲の上の人と言っても過言ではなかっただろう。

 神田さんとはぼくがアヘン中毒から復帰した後の四回目の名前舞踏会で初めて出会った。いつも高橋さんが読んでいたメッセージをその日は神田さん本人がスピーチをしたのだ。その時の事ははっきりと覚えている。

 いつものように千葉と一緒にお酒を飲みながら初めて会う人たちに自己紹介をしたり軽い雑談をしたりしていた。ぼくはまだ高橋さんの事が気になって仕方がなかった。チラチラと高橋さんの方を見てしまう。その度に千葉がズボンの裾をつかみ、「あかんで」と戒めてくれた。

 しかし、やはり意識は高橋さんの方に行ってしまうのだ。高橋さんはタイミングを見計らい、何分かおきに会場にいる人をあの部屋へ連れて行くようだった。そしてまたちょっとすると高橋さんだけが戻ってくる。

 ぼくが見ている間でも数十名は高橋さんとともに消えていった。みんなはあの部屋で吸っているものがアヘンだとは気がついているのだろうか。初めて会う人とは言え、ぼくがその苦しさを体験しているだけあって心配になった。

 その光景を見ている中で、知っている人が高橋さんと話をしている時があった。加藤だ。加藤は前に会った時と同じようにグレーのスーツに茶色い革靴を履き、胸には赤い花を挿していた。

 加藤は外見を変えて中身を変えられたのだろうか。加藤と会うのも久しぶりだった。もちろんぼくが休んでいただけの話なのだが、少し会わないだけでもすごく時間が経っているような気がした。置いて行かれた気がした。

 加藤は今、人生の山のどの場所にいるのだろう。頂上まで登ってしまったのだろうか。綺麗な景色を眺めているのだろうか。そんな考えが浮かんできたが、話している相手が高橋さんという事を思い出しただけで、僕の頭から山が消えた。

 加藤もあの場所に行ってしまうのだろうか。心配になった。ぼくの中でとめなければいけないという衝動が沸き起こった。少し話しただけの関係だ。友達? 親友? そのどちらでもないのかもしれない。でもたとえ、神様がぼくらを友達や親友じゃないと決めたとしても、加藤がぼくと同じ苦しみを味わうなんて嫌だった。それだけの理由だ。

 ぼくは加藤の元に歩みを進めた。千葉がぼくの手を引っ張ったけれど、ぼくはそれを振り切った。加藤をとめられるのはぼくしかいない。ちょっとしたヒーローにでもなった気分だった。

 しかし、事態はおかしな方向に進んでいった。加藤は高橋さんから離れていき、マイクの前に立ってこう言った。

「みなさん、こんにちは。代表の神田です」ぼくは足が止まった。どういう事だ。加藤が話を続ける。

「今日はサークルアノニムの主催する名前舞踏会にご来場いただきましてありがとうございます。諸事情がありまして、この会になかなか参加できませんでした。今年度初めて参加いたします。今日はこうしてみなさまの顔を見ることが出来て幸せです。今日は色々とお話をしましょう。よろしく」と加藤が言った。

 間違いなく加藤だ。加藤が自分を神田と名乗った。頭の中に様々な推測が駆け巡る。加藤が神田さん? 彼はぼく以外の人間にはなんと認識されているのだろう。

 神田さんは言った。人間は周囲の複数の人の認識によって生まれると。周りが神田だと認識すればそれは神田さんだし、加藤と認識すれば加藤だ。

 ぼくだけが神田さんを加藤と認識していたのだろうか。それとも加藤と思っていた人が神田さんだと名乗ったのをみんなが受け入れているのだろうか。この場所では相手が言った事をそのまま受け入れるのがマナーだから。加藤は確かに何度か名前舞踏会に出席していた。しかし、神田さんと名乗る男は今年初めて参加したと言った。

 そこで気がついた。

 この名前舞踏会では何故かぼくと二度会う人はいない。加藤も同じ状況だとしたら?

 どこから集まってくるのかわからないが、もし常に新しい人が参加するのであれば、初参加の人にとって神田と名乗った男が神田になる。加藤が神田と名乗ればその日参加した人にとって加藤が神田になる。

 そして『神田』と名乗る人間を複数用意して、その会場ごとに誰かが『神田』と名乗れば『神田』という偶像が生まれる。例え顔が違っていても『神田』という名前があれば、人それぞれがそれぞれの顔を思い出す。

 会話の中では人の顔の特徴ではなく、名前を呼ぶだけなので矛盾は生まれない。

 『神様』という言葉を思い浮かべてみればいい。『神様』と言う名前を言われればなんとなくみんな共通の認識をする。しかし、実際人それぞれ頭の中では神様に対して様々な顔を想像し、同じ顔を思い浮かべる事はないだろう。

 木の妖精を神様と呼ぶ人もいれば人型の天使の輪を頭に乗っけているようなイメージを思い浮かべる人もいる。その違ったイメージを持つ人達が会話をするにも『神様』という言葉だけで話が通じてしまうのである。

 つまり実際に『神田』という男が存在していなくても、誰かが『神田』と名乗るという儀式を続けるだけでサークルアノニムの中では神田さんが存在することになる。

 そして『神田』という代表、カリスマを作り上げることで、参加している人たちに偶像崇拝させるのだ。

 ここで神田さんのカリスマ性を頭に植え付け、次のイベント会場に集める。たとえばそうだ。ここでアヘンにはまりそうな人間を選別する。そしてその人達を別の会場に集め、アヘンを購入させる。するとどうだろう。サークルアノニムは途端に巨大なマネーマシンになる。

 なぜ麻薬が世界から消えないのかと言えば、中毒性のある商品は儲かり安いからだ。煙草、コーヒー、ギャンブルなどなど。中毒性のあるものはリピーターが付きやすい。麻薬にしても中毒患者は値段が高かろうが何をしてでも手に入れたいと思う。思考力も低下している。そして麻薬を買い続ける。永久的なパイプラインが出来上がるのだ。

 ただたまにぼくみたいに中毒を抜け出して永久的なパイプラインを逸脱してしまう奴がいるとしよう。そこで神田さんというカリスマ性の登場だ。つながりを一つではなく、二つ作っておくのである。

 たとえ麻薬というつながりが消えても、もう一つのつながりがあるため離れていかない。そしてまた中毒に戻るのを待つのだ。あとはこの繰り返しである。

 麻薬中毒患者が一度中毒を抜け出しても何度も摂取してしまう傾向にあることからも、このモデルはきっとすごく効果があるだろう。

 そのカリスマ性を手に入れる為に名前舞踏会には毎回神田さんからの、タメになるメッセージを流している。読む人は高橋さん。メッセージを作る人は誰でもいい。

 神田さんがいなくても神田さんからのメッセージと言ってしまえば、ぼくが作ろうが千葉が作ろうが高橋さんが作ろうが神田さんからのメッセージという事になる。

 実際ぼくもそのメッセージで神田さんに思いれが強くなった。そこで神田さん本人を登場させる。すると本当に存在する人なのだと人々は確信する。

 そしてまた神田さんは姿を消す。一度だけでいいのだ。神田さんは存在しない人なのではないかという疑惑を拭い去るためだけの儀式。

 誰かが『神田』と名乗り出るだけでいい。その人が神田かどうかは重要ではない。誰もその人の名前を知らない事が重要なのだ。そういう人ならば、神田と名乗れば誰でも信じる。あとはメッセージを流し続け洗脳すればいい。

 イベントの楽しさで客を逃さず、代表のカリスマ性で人を虜にし、アヘンの中毒性でお金を回収する。サークルアノニムは巨大な犯罪集団なのかもしれない。そう推測した。

 ぼくは踵を返し、千葉の元に戻った。そして今の自分の推測を千葉に伝えた。自信はあった。千葉に伝える為に口で推測をなぞった時には推測はもはや確信に変わっていた。しかし、

「伊波、お前考え過ぎやって。ドラマやないんやから」と簡単に千葉に一掃されてしまった。

「それなら、なんで加藤が神田さんなんだよ。説明会の帰りに知り合いに会ったって言ったろ? それが加藤なんだよ。あいつは確かに加藤なんだって」

「そうやな。伊波の推理ごっこにもう少し付き合ってみよか。伊波思い出してみ。確か説明会の時に神田って男のメッセージの中にあったやんか。親が離婚して名前が変わりました、みたいなこと。

 加藤って神田の前の苗字だったんやないかな? 父方の苗字やな。サークルの代表ってぐらいやから誰よりもサークルを楽しみたいし、楽しませたいんやろ。

 名前舞踏会って誰でも初対面で気にせずに会話出来るのがいい所やろ。過去がどうだとか年齢がどうだとか社会的立場がどうだとかそういうの関係なしに接してくれる。もしそれがサークルの代表っちゅう肩書きで参加してみい。みんな恐縮してしまうやろ。

 時代劇とかでもあるやろ。将軍様がお忍びで城下町を徘徊するっていうやつ。あれと一緒やと思うで。

 まあ伊波はあんな目にあったばかりやから、悪い方向に考えてしまうんは仕方がないことやけど、正直に言ってしまうと麻薬と大学っていうのは結構近い距離にあって珍しいことやないんよ。アヘンっていうのは珍しいんやけどね。

 今の流行りは覚醒剤とか大麻、脱法ドラッグみたいやから。

 でもな、伊波これだけは覚えておいてな。環境は流される為にあるんやない。選ぶ為にあるんや。前もバーで言うたやろ。自分次第なんやて。俺は別に麻薬やってる奴を非難はせん。もちろん賛同もせえへんけど、自分で選んだんやからそれはそれでええんよ。自分の責任の中でやって自分でケツ拭いたらええねん。

 ただな、伊波の場合は知らん間にやってしもうたんやろ? それはあかんねん。もっと見極める力を持ってほしいんよ。知らんことを受け入れるんは大事やで? でもな、知らんことを知らんまま受け入れるんはダメな事っちゅうか、危険な事なんよ。

 ここの場所は見極めの力をつけるには最適な所や。相手がかなり勝手な事言ってくるやろ。それを受け入れないかんっていうルールが行き渡ってる。いち早く順応せなあかんねん。

 でもな、常に疑いの心は持っとく。そして自分で納得できたことだけが真実、信じるべき事実なんよ。知識の泉、知恵の泉はそうやって使うんやろうなきっと。

 それを学んで欲しいから、このサークルに参加しとるんよ。

 世界を広げることは大事や。でも地図ばっかりデカく書いたってな、そこに何があるとか自分が何を感じたとか自分基準の判断が書いていなかったらそら単なる紙切れや。何の役にも立たん。知識と知恵の違いっていうのはそういう事や。

 どれだけ沢山の知識を持っていたって、自分の中で取捨選択できる知恵がなかったらいくら世界を大きくした所で頭でっかちなだけやで。

 伊波に必要なんは自分で取捨選択できる知恵の方や。知識と知恵をバランスよく身に付ける事やな。自分の人生やんか。なんでも自分の好きなようにしたらええねん。環境がどうだとか関係ないんよ。すべては自分次第や」

「確かにその通りかもしれない。ぼくは環境に流されるというか、すべて周りのせいにしているというか、周りの力は強大だから抵抗しても意味がないと諦めているというか。言われてみれば、加藤が神田さんだろうが神田さんが加藤だろうが、神田さんの言葉に共感できるのは変わらないし、加藤が言う事に反発しながらも納得できてしまうのは変わらないからな。自分次第ってそういうことかな」

「まぁ、ちょっとちゃうけどそういう事でもええんちゃう」と千葉はにこりと笑う。

「少し加藤に声かけてくるよ。会ったの久しぶりだし」

「了解や。話してき。あ、でも今日は神田さんやで」

「わかってる」と僕は答えたが本当はイマイチわかっていなかった。だから加藤と話したかったのだ。ぼくは加藤のいる方に歩き出した。

 違和感でぼくは一杯だった。

【ブログ小説】映画のような人生を:第三十二章「疑惑」あとがき

ブログ小説-映画のような人生を-疑惑-あとがき

さてさて、いかがでしたでしょうか。ここの所、短い章が続きましたが、久しぶりに長い内容だったと思います。

伊波の中で生まれた疑惑。それが事実かどうかはそれほど重要ではありません。疑惑が生まれたという事が何よりも重要なのです。

それにしても人間はなぜ疑惑を拭い去る事が困難なのでしょうか?それは人間の頭の中には整合性をとろうとする仕組みが備わっているからです。

整合性をとる。それは矛盾がなく一貫性のあることを望むってことですね。

例えばその昔、こんな実験が行われました。「人は助けられると好きになるのか?」です。

お互いの事を知らない男女が助ける側と助けられる側にわけられてテストを受けます。そしてその後にお互いの印象を個別でアンケートを取るのです。相手の印象はどうですか?と。

この実験結果がどうなったと思いますか?

普通なら助けられた側は、助けてくれた人に対して好意を抱きそうなもんじゃないですか。そう思うからこそ、この人に好きになってもらいたい!って思ったら、色々と助けたりするわけでしょう?

でもね、実際はそんな結果が出なかったんですよ。助けてもらった側は助けてくれた人に対してそれほど好意を抱かなかった

結果はね、逆だったんですよ。助けた側が助けられた側のことを好きになっていたんです。

こんな話を聞いた事ありませんか?恋人が別にいる異性の相談に乗っているうちに、その異性の事が好きになってしまったみたいな。あの状態です。

これは人間が整合性を取ろうとする生き物だという事を証明しています。

あなたが誰かを助けようと思う時はどんな時ですか?普通に考えれば相手の事を好ましく思っている時ですよね。わざわざ嫌な人間を助けたいと思う人はそれほど多くはないと思います。

まず前提条件としてこれがあるとします。人は自分の好んでいる人を助けたいと思う。

しかし、もしこれが助けるという行為が先に来た場合はどうなるでしょう。頭の中がパニックに陥ります。なぜ自分は相手の事を助けているのだろう!?なんでだ!?なぜわざわざ時間をかけて相手の事を助けねばならないのだ!?と。

そこで人間は整合性をとってバランスを保とうとするのです。

あ、そうか。自分はこの人の事を好ましく思っているんだ。だから助けて当然なんだ。パニックに陥る必要はないんだな。なーんだ、そうか。

みたいな。

逆に助けてもらった側はどうでしょう。なんでこの人は自分のことを助けてくれるんだろう。あ、そうか。この人は自分の事が好きなのか。なーんだ、そうか。

という感じで、自分の感情に変化は起きにくいのです。

だからね、あなたがもし誰かに好きになってもらいたかったのなら、その人を助ける事を考えるのではなく、その人にどうやったら助けてもらえるのか?を考えた方が効果的だって事です。

この整合性をとろうとする心理が疑惑にも働くんですよ。

この人はなぜ噂が立ったんだろう。あ、そうか。うわさが立つからには、なんらかの根拠があるはずだよな。だからこの噂は信じるに値するんだ。

と、自分を納得させてしまうのです。逆に、人の良い噂を信じにくいのもこの整合性をとろうとする心理からです。

あの人はなぜ、あんなに良いことをするんだろう。意味がわからない。あ、そうか。きっと影であの人の得になる事があるんだろうな。

みたいな。勝手に理由を生み出して、自分が納得出来る形にしてしまうわけですね。

この整合性の心理というのは、実は相当厄介なものでして、人に騙されやすい人というのはたいていがこの整合性の心理が強い人です。

どれだけ騙されていても、何らかの理由を見出して、自分が被害にあっているという所から目を背けてしまう。まさかこの人がそんな事をするはずがない。この行動にはこんな理由があるはずだ。

みたいなね。

…ということで、今回はどんな風に話を締めくくったらいいのかわからなくなりました。まぁ、整合性の心理を利用して近寄ってくる人って多いから気をつけてねって所ですかね。

整合性の心理というのがあるんだと思いながらニュースを観てみればわかりますよ。ニュースというのは事実を伝えるものではなく、観た人の印象を操るものなのかもしれないってね。

ではでは、【ブログ小説】映画のような人生を:第三十二章「疑惑」でした。

野口明人

ここまで読んでいただき本当に、本当にありがとうございました!

あ、ちなみに整合性についてわかりやすく解説した本を最後に紹介しておくので、興味があれば立ち読みでもいいので手にとってみてくださいませ。これを知っておくだけでもだいぶ損をすることが減りますよ。

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【ブログ小説】映画のような人生を:次回予告

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 加藤は挨拶を終え、マイク近くにいた男の人と話をしていた。ぼくは気持ちが高ぶっていたのもあって、楽しそうに話をしているにも関わらず話を割って声をかけることにした。

次回へ続く!

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