【ブログ小説】映画のような人生を:第二十二章「信疑」

ブログ小説の二十二回目の更新。信疑について。

信疑。信じる事と疑う事。あなたの今までの人生は、どちらの方が多かったでしょうか?中には信じていた人に裏切られて人間不信に陥っている人もいるかもしれません。

僕もその昔、人間不信に悩んでいた事があります。周りの人すべてが僕を陥れようと考えているんじゃないか?とか、食べ物すべてに毒が入っているかもしれないみたいに思えてほとんど食べられなくなったり。

つまりあらゆる人を疑ってかかっていたんです。うん。あれはかなりしんどかった。

世の中的には信じる事が美徳であって、疑うことはなんとなく良くない事のように分類されている気がしますが、人を信じるってものすごくパワーが必要だと思うんです。

信じたいけど、信じる事が出来ない。信じようとすればするほど疑念が浮かんでくるのです。そんな時、僕はどうしたのか。それが今回の内容に盛り込まれております。

…という事で、ここからは過去に書いた小説をブログ形式に変換して投稿していく企画。映画のような人生をというブログ小説をお送りします。

全部で39章分あるのですが、今回はその中で第二十二章「信疑」をお送りしたいと思います。よろしくどうぞ。

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【ブログ小説】映画のような人生を:第二十二章「信疑」

ブログ小説-映画のような人生を-信疑-あらすじ

 加藤と話した後、何をしたらいいのかわからず、会場の端を行ったり来たりしていると、千秋さんが会場の前の方に現れ、マイクを使って開会宣言をした。会場に静寂が訪れる。

「本日はお集まり下さりありがとうございます。サークルアノニム主催の名前舞踏会でございます。今まで何度も参加いただいている方はもちろん、新しく参加いただいた方も今日はめいいっぱい匿名性をお楽しみください。

 ルールは特にございません。が、ただ一つ、なりたい自分を思う存分出し切ること。ここにいるメンバーに遠慮は必要ありません。あなたがどういう出で立ちで、今日に至るのか。本当の事を話すのもよし。自分で作り上げた理想の出で立ちを話すのもよし。ご自分の責任でお楽しみください。

 料理もお酒も存分に用意してございます。料理をつまみながらたくさんの方と触れ合い、良い社交の場としていただければ幸いです。それでは短い間ではございますが、サークルアノニムの名前舞踏会をお楽しみくださいませ」

 千秋さんの話が終わった後、静まり返っていた会場は再び活気を取り戻した。会場にはおおよそ百人ほどの参加者がいた。その参加者が一斉に料理を取りに行き、長蛇の列ができる。

 ぼくも少しの料理とお酒を取りにその列に並ぶことにした。列に並んでいる間、周りを見ると列の前後の人々同士がそれぞれ向き合い会話をしていた。ぼくの前後を見ると前は前で会話をしていて、後ろは後ろで会話をしている。ぼくだけが会話に参加出来ていない。

 しかし、そんなことでいじけていては今までのぼくと何も変わらない。儀式をしたのだ。ぼくは新しいぼくに生まれ変わったのだ。話しかけてもらえなかったなら自分から話しかければいいではないか。そう自分に言い聞かせ勇気を出して、前のグループに話しかけた。

「こんにちは。伊波です」

 思ったよりも大きな声になってしまった事を我ながらビックリしたが、前のグループ二人は振り返り、

「はじめまして。日下部くさかべです」

「俺は伊藤です。はじめまして」

 と気持ちよくあいさつしてくれた。

 日下部と名乗った女性は見た感じでは三十代前半に見えた。身長は低く丸い顔だが、顔の中では目の下のクマが一際目立っていた。恐らく忙しい人なのだろう。極度の睡眠不足のような疲れた顔をしていたが、丸い顔がその疲れをカバーして優しい印象を与えていた。

 肩の見える黄色いドレスを身にまとい、首には白いスカーフを巻いているのが上品に見える。ふと、この人も大学生なのだろうかという疑問が浮かんだが、女性の年齢の事を詮索するのは良くない事だと思い質問はしなかった。

 一方、伊藤と名乗った男性は日下部さんとは対照的に身長が高く、運動をしているようながっちりとした体格をしていた。濃い眉が彼に力強い印象を与えていたが、それと同時に目じりが下がっているまぶたが和やかな印象を与えた。

 眉とまぶたがお互いにバランスを取り合い、彼という顔を作り上げているようだ。伊藤君はきっと同じぐらいの年齢だろう。カーキ色のチノパンツを履き、半袖の白いシャツに紺のベストを重ねている。伊藤君の服装を見ると舞踏会向きではなくても大丈夫なんだなと自分の服装に自信を持てた。加藤が張り切りすぎているのだ。ぼくは少し気持ちが楽になった。

「お二人は今日が初めてですか?」と二人に聞いてみると、「私はもう二年目ね」と日下部さんは言い、「俺は今日が初めてですね。伊波君は今日が初めてですか」と伊藤君は答えた。

「ぼくも今日が初めてです」

「まだよくわからないけど、楽しそうですよね。日下部さんとも今日出会ったばっかりなんですよ。俺、ここの会場がわからなくて、近くにいた人に聞いたら偶然今日の参加者で、それがこの日下部さんです」

「そうなんですか。ぼくは今日一人で来て、知り合いも何人かいるんでけど、ほとんど知らない人で右も左もわからない状態です」

「でもとりあえず、これで前はわかりましたね」と日下部さんは冗談を言った。

「そうですね。これからもよろしくお願いします」とぼくは笑顔で答えた。

 しばらく日下部さんと伊藤君と他愛のない会話をしていると料理を取る順番が回ってきた。ぼくはトマトが入っているサラダとドライカレーを皿に盛りつけ左手に持ち、右手でジンの入ったグラスを取った。

「ところで、日下部さんと伊藤君は、本当の名前はなんていうんですか?」

 ふと、ぼくは気になっていたことを聞いた。

「伊波君、それはここでは聞いちゃいけないのよ」日下部さんは顔を歪めて言った。「もちろん、ルールって言うほどじゃないけど、マナーね。もしかしたら本名かもしれないし、本名じゃないかもしれない。それでいいのよ。相手が言った通りの名前で相手を認識する。たとえば伊波君、君が新しい自分になろうと思っている時に、周りから昔の君はどうだったの? とか、今の君って本当の君なの? とか言われたらどう思う?」

「少し嫌な気持ちになるかもしれませんね」

「でしょ。ここのサークルは新しい自分を発見することを応援するサークルというか、新しい自分になりたい人たちが集まったサークルでしょ? だから相手が言った事を素直に受け取るの。そしてその人と関わっていく。あなたに対しても、あなたが言った事を周りはそのまま受け止めてくれるし、あなたも周りを受け止める。そういう練習の場所なのよ。この舞踏会はそういう会なの。慣れないうちは相手の言う事をそのまま信じるという事は難しいかもしれないけれど、相手の言う事を疑わない事は出来るでしょ?」

「確かにそうかもしれません。信じるには忍耐が必要ですが、疑わないことは信念があれば出来ます。わかりました。気を付けます。ご忠告ありがとうございます。知らぬ間に人を傷つける所でした」

 本当にそうだ。知らない間に人を傷つけてしまうとしたら、誰かに注意してもらわない限り自分では気がつかない。そして知らない間に周りに人がいなくなる。

 もしかしたら、大学入学当初のぼくには気がつかないうちに人を傷つけるという事があったのかもしれない。自分の入学当初を思い出し反省をした。

 そしてこの名前舞踏会の場で人との関わり方を学んでいこうと決意した。失敗してもいい。失敗が罪なのではない。それを直そうとしない事が罪なのだ。どんどん自分を磨いていこうと思った。これからなんだ。

「とにかく楽しみましょう。私なんてハマっちゃって二年間欠席なしよ」と歪めた顔を笑顔に変え日下部さんは微笑んだ。

 ぼくはその日、浴びるほど酒を飲んだ。

【ブログ小説】映画のような人生を:第二十二章「信疑」あとがき

ブログ小説-映画のような人生を-信疑-あとがき

いかがでしたでしょうか。今回はブログ小説の内容を受けて、信じる事と疑う事についてお話しましょう。

今回、初登場した日下部さんという女性が会話の中で、「信じるという事は難しいかもしれないけれど、相手の言う事を疑わない事は出来るでしょ?」と言いました。

僕が人間不信に陥った時に、練習したのはこの事なのです。

人が言ったこととかをひたすらに疑ってしまっていた当時の僕は、どれだけ頑張っても信じるという事が難しかった。信じなきゃ、信じなきゃ、信じなきゃと何度も思い直してみても、「…でももしかしたら」という言葉が浮かんでしまう。

この人は言葉ではこう言っているし、悪い人ではなさそうだ。…でももしかしたらそれもすべて演技かもしれない。僕を騙そうとしているのかもしれない。

どうしてもこういう思考回路になっていました。

なので、僕は人を信じようとすることを辞めました。信じようと考えるから考えが続いてしまうのです。まず僕がやろうとしたのは、認識する事。

人を見て、人と話をして、その人の事を疑い始めたら、まずは認識する。「あ、今ぼくはこの人を疑い始めたぞ」と、心の中で自分を客観視する、もうひとりの自分を生み出すのです。

一度自分が人を疑い始めた事を認識出来たら、次にすることはそれを辞めること。疑っている思考をストップするのです。別のことを考えるんですね。

信じる信じないというラインから全く関係ない事でもいい。とにかく疑い始めたら別のことを考える事にしました。そうすれば人を疑わない事は出来るようになるのです。

信じる事が出来なくても、疑わない事なら出来る。

よくよく聞かれる言葉で「好きの反対語は嫌いではなく無関心」というのがありますが、まさにあの状態です。

人を信じたくても信じられない人っていうのは、きっと人に対して敏感過ぎるのです。人のことが好き過ぎるのです。そんな人に嫌いになれという方が難しい。だったら距離を置いて無関心に近づいていく方が好ましいのではないか。

そんな感じで、人の事を疑い始めたら、人に興味を持つことを辞めるように自分の思考をトレーニングしました。信じることは難しいけれど、疑うことを辞めることなら少しは出来る。

そんな風に思考トレーニングを繰り返していたら、いつの間にか人間不信はおさまりました。

多分この考え方っていろんな事に適応出来ると思うんですよね。達成したいと思っている事が出来ない人は、目標の立て方の視点を変えてみるんです。

ダイエットとかね。大抵の人が「何月までに○○kg痩せる」とか目標をたてて失敗するでしょ?

そういう時は、目標の視点を変えて、ゴールにフォーカスするのではなく、「食べたいと思った時に10分だけその考えを捨ててみる」みたいな、プロセス中に出来る事に切り替えるんです。

それを何度も繰り返しているうちに、知らない間に目標を達成できているかもしれないっていうね。

おそらく目標を立てても達成出来ない人っていうのは、ゴール設定がデカ過ぎるんですよね。

んで、ゴールが出来ないかもしれないって思った時に、あれこれいいわけを考えて自分を納得させてしまう。「ダイエットをしている方がストレスで健康に悪いや」みたいに。

なので、そんな時は達成したい目標をゴールにすえることを辞めて、そこまでのプロセスに目標を設置するんです。人を信じるのは難しいけれど、疑い始めた思考を辞めてみるってまさにこれ。

という事で、今回は信じる事と疑う事についてお話しました。

ではでは、【ブログ小説】映画のような人生を:第二十二章「信疑」でした。

野口明人

ここまで読んでいただき本当に、本当にありがとうございました。ブログを読んでくれる事って、本当にすごい事だと最近ふつふつと感じております。ありがとう!!

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【ブログ小説】映画のような人生を:次回予告

ブログ小説-映画のような人生を-次回予告

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ここから先は次回の内容をほんの少しだけ含みますが、本当に「ほんの少し」です。続きが気になって仕方がないという場合は、ここから先を読まずに次回の更新をお待ち下さいませ。


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 結局、ぼくはそれから何度も名前舞踏会に通った。お酒を飲みながら、毎回誰かと知り合うたびに自分の自己紹介を行い、その匿名性を楽しむ。社交の場を楽しむ。そして人との関わり方を学ぶ。この場所では初めの説明会で神田さんの言った言葉がすべてだった。自分は特別であり、相手も特別である。相手は自分を大切にしてくれるし、自分も相手を大切にしたいと思う。誰もぼくを疑ったりしないし、ぼくが言った言葉をそのまま捉えてくれる。まさに理想の世界が存在していた。

次回へ続く!

【ブログ小説】映画のような人生を:今回のおすすめ

人を信じられない病 信頼障害としてのアディクション
4.6

著者:小林桜児
出版:日本評論社
ページ数:172

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