【ブログ小説】映画のような人生を:第三十章「シミ」

ブログ小説の三十回目の更新。シミについて。

シミと言えば、白いシャツを着ている時に限って、カレーうどんの汁が飛んでシミになっちゃうっていうシチュエーションあるじゃないですか。

あれって実際は、白シャツじゃない時にもカレーうどんを食べれば、その汁が飛び跳ねてシャツについているのに、白じゃないから目立たないし、記憶に残らないってだけなんですよね。

しかし人間はどうしても悪いことだけはくっきり見えてしまう

良いことも悪いことも同じだけ起こっていたとしても、悪い出来事だけが記憶に鮮明に残るから、どうして自分の人生はこんなにツイていないんだ…と考えてしまう。

運がよくなるコツは、運が悪いことだけに目を向けないこと。当然だと思っている事が、実はすごく運が良いことなのだ気がつくこと

そうする事で毎日がちょっとだけ楽しくなり、それを見ている周りの人も、なんかあの人助けてあげたくなるなぁ〜みたいな感じで運が上昇してくらしいです。なにかの本に書いてありました。

…という事で、ここからは過去に書いた小説をブログ形式に変換して投稿していく企画。映画のような人生をというブログ小説をお送りします。

全部で39章分あるのですが、今回はその中で第三十章「シミ」をお送りしたいと思います。どうぞよろしく。

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【ブログ小説】映画のような人生を:第三十章「シミ」

ブログ小説-映画のような人生を-シミ-あらすじ

 四、五日ほど経っただろうか。今日もぼくは禁断症状と闘っていた。千葉の話によるとアヘンの禁断症状は七十時間程で収まるらしい。三日から長くても五日ぐらいだろうと言っていた。

 なぜそんなことまで知っているのかわからなかったが、千葉の事だ。調べてくれたのだろう。ただぼくはまだ吐き気に襲われていた。そんなぼくを夜通し千葉は背中をさすりながら手を握ってくれていた。朝になると千葉は用事があるそうで入れ替わりに千秋さんが来てくれた。

 千秋さんは何をするというわけでもなくただ傍でぼくを見ていた。ぼくは千秋さんの方を見るのが恥ずかしく、何もない天井を眺めていた。

 少し意識がはっきりしてきたらしい。天井のシミがやけに目につく。そのシミをじっと見つめるとだんだん顏のように見えてきた。シミが浮き上がって、ぼくに話しかける。でもその言葉は何と言っているかわからない。水の中で話しかけられているようなそんな感じだ。

 ぼくはまた幻聴が始まったなと思った。そう思えるようになったのも禁断症状が軽くなった兆しなのだろうか。ぼくは目を閉じる。意識を耳だけに集中させる。

 言葉はわからない。でもそれは女性の声のようだ。女性? 千秋さんの声だ。ぼくは目を開け千秋さんの方を見る。千秋さんは何もなかったような顔をしていた。ぼくの勘違いだろうか。そのまま千秋さんの方を見ているのもなんとなく間が持たなかったので、また天井を見つめた。

 するとまたシミが浮き上がってくる。何かを言う。声に耳を澄ます。千秋さんの声になる。千秋さんを見る。何もない。その繰り返しだった。

 聞こえてくる声は日本語ではない言葉だった。正しく言えばあれは言葉というよりも詩だろう。一定のリズムを保ち、耳の中に残る。でもそれも僕の幻聴かもしれない。

 何度も目を閉じ、耳を澄ます。次第に脳裏にシミが浮かんでくる。頭の中に棲みついた一点のシミはこびりついて離れない。シミが大きくなる。大きな顔でぼくを笑う。そしてぼくを飲み込んでいく。

 自分が自分じゃなくなる。嫌だ。嫌だ。嫌だ。そんなの絶対に嫌だ。

 ふと横から誰かの腕がぼくを強く抱き寄せる。そして優しく唇にキスをした。ぼくは我に返る。千秋さんの顔がすぐ目の前にあった。千秋さんの瞳の中にぼくがいた。ぼくは自分がここにいることに安心する。

 千秋さんはもう一度ぼくをきつく抱きしめ、そして体を離した。ぼくは自分が大量の汗を流していることに気がつく。体中の毛穴から流れ出た汗によって毒素が抜かれたようだった。

 ぼくの汗が千秋さんの体についてしまったのではないかと心配する。毒が移ってしまったのではないかと心配する。そんなぼくの気持ちを理解したのか、千秋さんは優しく微笑む。頭の中のシミはどこかに消えていた。

 もう一度千秋さんの瞳の中を見つめる。しかし、もうそこにぼくは見えなかった。千秋さんはぼくを透明にし、ぼくの後ろの方を見つめる。焦点が合っていなかった。瞳は色を失っていた。

 ぼくはそこで理解した。この人もアヘン中毒なのだと。鏡で見たぼくの瞳がそこにあった。でもなぜだ? こんなに強い人がなぜなのだろう。ぼくは夜に空を見上げて泣いていた千秋さんを思い出していた。ぼくはまだ何もこの人を知らない。

 その事に絶望した。

【ブログ小説】映画のような人生を:第三十章「シミ」あとがき

ブログ小説-映画のような人生を-変化-あとがき

さてさて。シミと言えば、カレーうどんのシミとは別に、紙魚しみという存在をご存知でしょうか?

源氏物語の文中にも出てくるほど、昔から知られている存在なのですが、この紙魚というのは昆虫の名前なのです。

紙の魚と漢字で書くとおり、本などの紙を食べてしまう虫で、動き方が魚のようにうねうね動くんですね。

この紙魚という虫、実はかの有名なGから始まる黒いみんなの嫌われ者の虫よりも昔から存在していると言われております。

それなのに昆虫の中では珍しい無変態なんですよ。つまり蛹になったりしない。もちろん蛹にならずに成長する昆虫なら他にもいます。

過去のブログ小説の中でも登場したセミとかね。あれは蛹にならずに脱皮によって成長する不完全変態の昆虫です。不完全と名前はついていますが、セミは変態する昆虫なんですよ。卵から幼虫へ、幼虫から成虫へと。

一方、紙魚は無変態。子供の頃から大人の形をしているのです。生まれた頃から完成形なのです。

そして脱皮をすることで身体が大きくなっていく。しかも、その成長は死ぬまで続いていく。死ぬまで脱皮をし続ける昆虫なのです。

…と、ここまで独特でありながら、昔からも存在しているにも関わらず、Gさんよりも無名なのは、この紙魚さんは太陽の光に当たると死んじゃうんですよ。

ただ無名と思っているのはもしかしたら、僕だけなのかもしれませんがね。俳句の世界では紙魚は夏の季語になっていて、小林一茶も一句詠っているのです。

逃るなり 紙魚の中にも 親よ子よ

…と、ここまで書いておいてあれですが、なぜセミも掴めない虫嫌いな僕が紙魚について知っているかと言いますと、僕の好きな(ちょっと大人な画風の)漫画家さんで紙魚丸っていう人がいるんですよね。

紙魚丸しみまるって最初読めなくてね、調べたわけです。そしたら出てきたわけですよ、紙魚が。

出てきた画像に、うぎゃー!って叫びながらね、一度調べてしまった手前、好奇心旺盛の僕は最後まで調べずにはいられずに紙魚について調べまくったんです。

まさかその紙魚の知識を、10年前に書いた小説のあとがきで披露することになるとは。

…だって、シミのエピソードないんですもん。カレーうどん食べて白い服に付いちゃったみたいなやつは冒頭で話しちゃったし。

シミが顔に見えるのは心理学的にパレイドリアと言います。3つの点が集まると顔に見えてしまう現象はシミュラクラ現象と言います。っていうぐらいの話しか思い浮かびませんでした。

なので、紙魚さんの力をお借りした次第でございます。虫が苦手な人はごめんなさい。

ではでは、【ブログ小説】映画のような人生を:第三十章「シミ」でした。

野口明人

ここまで読んでいただき本当に、本当にありがとうございました!

あ、紙魚丸の漫画は大好きなのでここで紹介したいんですけどね、Googleさんに怒られそうなギリギリのラインなので辞めておきます。気になったらAmazonのKindle 漫画で検索してみてください。

キャラクターがアホで好きです。げんしけんとか好きな人はきっと好きになるノリです。ではでは。

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【ブログ小説】映画のような人生を:次回予告

ブログ小説-映画のような人生を-次回予告

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ここから先は次回の内容をほんの少しだけ含みますが、本当に「ほんの少し」です。続きが気になって仕方がないという場合は、ここから先を読まずに次回の更新をお待ち下さいませ。


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 その日を境にぼくは禁断症状から抜け出した。吐き気も収まり、普通に生活出来るようになった。戻らなかったのは食欲だけだった。ぼくの腕や足はすっかり痩せ細り、自分で見ても木の棒がぶら下がっているようにしか見えなかった。何かを食べようという気にならなかった。

次回へ続く!

【ブログ小説】映画のような人生を:今回のおすすめ

クッキングパパ カレーうどん
5

作者:うえやまとち
出版社:講談社
掲載誌:モーニング

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