うつ病の事について語るのは、あまり気乗りがしないのですが、大学を卒業して10年以上経って、今また心が落ち込みがちになってきたので、自分を客観視する目的としてうつ病を語りたいと思います。
これを誰かが読んで役に立つかはわかりません。こいつ何言ってんだという事にもなるかもしれません。なのでこれから先は時間と心に余裕がある場合だけ読んで下さい。
それではうつ病を患いながら『ぼっち』で大学を卒業した時に感じたことについて語りたいと思います。
うつ病を患いながら『ぼっち』で大学を卒業した時に感じたこと…
まずは208年3月25日23時37分に出した記事をご覧ください。この記事は現在は削除され、読めない状態だったものを下書きが残っていたので転載します。
卒業してしまった。
ども。野口です。
今日、無事早稲田大学を卒業しました。
4年間、長かったです。いや、短かったか。
今日はちょっと自分ごとですが、大学生活を振り返ってみます。
とりあえず、かなり充実した4年間だった。
よかったな。大学行って。やりたいことも見つけたし、やりたいことも全部やった。
大学では、たくさんの本を読んだ。
大学では、たくさんの人と話をした。
大学では、たくさんの恋をした。
大学では、たくさんの失恋をした。
大学では、たくさんの授業を受けた。
大学では、たくさんの感動があった。
大学では、たくさんの人と触れ合えた。
嫌なこともたくさんあったけど、嬉しいこともたくさんあった。
たくさん、たくさん、学んだ。
大学っていうのは、高校と違って自分で学ぶところだ。
つまり、自分次第。
学ぼうと思えばどこでも学べる。それがわかった。
どんな物事からも学ぶことが出来る。
どんな失敗からも学ぶことは出来るのだ。
一年、浪人して大学に入って、正直、はじめはがっかりした。
なんでこんなところに行くためにずっと勉強してたのかと。(いわゆる五月病にやられてた…)
しかし、すぐにそれが自分次第ってことに気がついた。
大学っていうのは自分で動かなければ、事務連絡もないし、授業も受けられない。どんなに重要な連絡だって、忘れていたら全てスルーされる。忘れていましたじゃすまないところだ。
自由であり、自立したところ。
自分で学ぼうと思わなければ何も学べない。
しかし、学ぼうとする者にとっては、非常にありがたいところ。
図書館もあり、様々な施設もある。環境が素晴らしく整っているところ。
もちろん、昔の人と今の人とは「大学」の意味が違っているかもしれません。
昔の人にとっての大学生であるということは非常に大きな意義を持っていたでしょう。
そういう意味では現代の大学生にとって、大学生であるということは特に何の意味も持ちません。
しかし、それでも「大学」は変わらずに存在するのです。大学は、学ぶものに優しく、学ばないものには無関心。
大学は僕に大きなことを教えてくれたと思います。
そう、結局のところ、世の中、自分次第なんです。
自分の気持ちひとつで1日の使い方が変わってきます。
自分の気持ちひとつで毎日が充実していきます。
それがわかっただけでも、大学4年間行った意味があると思います。
とても辛かった。とても苦しかった。病気にもかかった。入院もした。かなり困ったことにもなった。お金にも悩まされた。死にたくもなった。挫折もした。沢山泣いた。
でも、とても楽しかった。
卒業出来て、今、とてもすがすがしい気持ちです。
うつ病の初期症状や前兆
僕がうつ病になったのは大学1年生の11月だったと思います。
1年間、自宅浪人をして入った大学は、それはそれは期待ハズレで、どんなにすごいやつがいるのかと思えば、話をしていてもコイツは天才だ!と思える人がおらず、いい意味でも悪い意味でも平凡でした。
人よりも少し真面目で少し勉強が出来る人。そういう人の集まりで、話を聞いていてもぶっ飛んでいる人はいないし、コイツ面白いなぁ〜って思える人が少なかったのです。
まぁ、それは僕がお笑い芸人を目指していたのもあって、相方探し的な目線で見ていたからかもしれないんですけどね。
みんなすごい『大学生』を楽しんでいて、モラトリアム期間を堪能するかのように、授業のほとんどはうるさい教室で授業もあまり聞いていなかったし、暇さえあればサークルの飲み会でうぇーいって言っている感じでした。
僕は早朝にコンビニでバイトして、お笑いの学校に行くためのお金を貯めて、昼間に授業を受けて、夜に教職を取るための講義を受けるみたいな生活をしていました。
朝5時に家を出て21時まで授業を受けて、家に帰るのは23時ぐらい。
楽しみといえば、非常に充実した図書館で本を読むこと。気がつけばぼっちになっていました。
うつ病になったきっかけのようなもの
まぁ、それでも目立ちたがり屋の僕は授業中の発言などで人の目を引いたりして、よくよく声をかけてくれる人もいました。
だから正しくは『ぼっち』というより『孤独』を感じていたという方が正しいかもしれません。人と話をしていても面白くないのです。
徐々にその孤独に身体が苛まられていき、考え事をしている時間が増えていきました。
そんな時に、「野口くんは悩みがなさそうでいいね」と言ってきた同級生Aがいました。
僕は人に迷惑をかける事が何よりも嫌いだったので、とにかく人前では明るく振る舞っていたのを見て、そう感じたのでしょう。
いつもなら、うんうん、悩みがないのが悩みかもしれないなー!あはははー!なんて言いながらスルーしていたかもしれませんが、その時の僕は頭が周っておらず、真顔で、
そうかな。今すごく悩んでいるんだけどな。そう見えるのか。
なんて恨みがましく答えてしまいました。
それを聞いた同級生Aが「あ、気に触ること言ったらごめん。良かったら話を聞くよ」と言ってくれて、後日、喫茶店で話をすることになりました。
うつ病が生まれる時
僕は言い表しにくい自分の中の孤独を打ち明けると、一度パーッと誰かと遊んだほうが良いよと言われ、グループでドライブすることになりました。
そこで知り合った女の子がいて、なんかちょっと良いなぁ〜なんて思いながら終わったドライブ。
後日、同級生Aに「〇〇ちゃんの事どう?」と聞かれたので、僕は素直にちょっと好きかもしれない。なんて事をこぼしたのです。
それを聞いた同級生Aは「早くアタックしないと取られちゃうよ!」と言い、早々にその女の子と僕の予定を合わせてデートを企画してくれました。
僕はそのデートの日、別れ際に告白をし、めでたく付き合う事になります。
が、その1週間後。僕は〇〇ちゃんに振られました。どうやら彼女には好きな人がいたらしいのですが、あまりにも友達期間が長かったせいできっかけを掴めない関係性でした。
そこで、自分に彼氏を作ることで、相手に自分の気持ちに気がついて告白してきて欲しいという願望があったそうです。
そして見事にその計画通り、好きな人から告白され、僕と別れてその人と付き合うことになるのです。
僕は振られて落ち込むには落ち込みましたが、問題は彼女に振られたことではありませんでした。
僕をひどく落ち込ませたのは、この計画を立てたのが同級生Aだということです。同級生Aが事前に〇〇ちゃんに相談を受けていて、なんとか付き合えるように当て馬を探していて、その矢が僕に飛んできたわけですね。
僕はこの一件で、自分の愚かさを呪いました。今まですべて自分で解決し、自分の力を信じていたのに、人に自分の弱さを見せたせいで、こんな事になってしまった。
何をやっているんだ僕は。それがうつ病のトリガーを引くことになりました。
うつ病と病院
僕は一日中考える事を辞めることが出来ず、あたまは考え事で一杯でした。さらにはその時、家の父が脳梗塞で倒れるという事も重なり、自分の感情や気持ちをコントロールする事が出来なくなりました。
母と一緒に車で父の病院へお見舞いへ行くときも、気がつくと車はガードレールの方に引き寄せられた事が何度もあり、僕を心配した母は、心の病気かもしれないから、一度病院に診てもらったら?と言いました。
そして心療内科に行った僕。診断は10分ほどで終わり、うつ病の薬をもらいました。
僕は自分でうつ病なのだと認識してしまい、さらに落ちていきました。
言葉というのは不思議なもの。もしこれが風邪だと言われたなら、そこまで落ちることはなかったかもしれませんが、うつ病という名前がつけられた事で、僕はどんどんうつ病の方へうつ病の方へ進んでいくのです。
うつ病と大学の友人
あれはクリスマスの日。
僕はもう死というものが頭から離れなくなり、カッターを持って〇〇ちゃんに告白した場所へ向かおうと思いました。そうだ。僕が死んだら、少しは〇〇ちゃんも後悔するかもしれない。
そんなお粗末な考え方が正しい事だと思いこんでしまっていたのです。
しかし、家から出ようとした瞬間、家のチャイムがなりました。
そこにいたのは〇〇ちゃんと同級生Aと一緒にドライブにいった友人K。僕の家など知らないはずなのに、なぜかKが僕の家の前に立っていました。
どうやら僕の家を〇〇ちゃんから聞いたらしく、サンタクロースの帽子をかぶった友人Kは、プレゼントと言いながらちょっと集めの封筒を僕にくれました。
そこに入っていたのは、文字がビッシリ書かれた便箋5枚。ところどころ文字が滲んで読みにくい手紙でした。
僕はそれまで友人Kを、いっつも僕がいる所についてくる気さくなやつぐらいにしか思っていませんでした。
ですが、そこに書かれた文字は僕の事を大切に思っている気持ちがぎっしりつまっていて、僕がいなくなったらどれだけ哀しいか、僕と一緒にいることでどれだけ楽しいかが綴ってありました。
「なんか書いてたら、涙が止まらなくなって文字滲んじゃったけど、俺はのぐっちゃんの事友達だと思っているよ」
その言葉を聞き、涙する僕。
僕はそこで死ぬことを辞め、出来る限り強く生きていこうと思いました。
うつ病の再発
そして大学2年。僕はお笑いの養成学校に入り、忙しくも楽しい1年を過ごします。友人Kは度々お笑いライブにも来てくれたし、大学の授業も一緒のものをとるようになりました。
そして大学3年。友人Kは借金の打診を僕にしてきました。僕は大学1年のクリスマスの恩もありましたし、困っている人がいたなら、僕が代わって頑張ればいいみたいに思っていたので、お金を借りてきて、友人Kに渡しました。
貸す時は全然大丈夫だと思っていたんですけど、やっぱり駄目ですね。お金の貸し借りをすると人間関係は壊れやすい。
僕と友人Kの関係は非常にギクシャクしたもののようになり、僕は再び『ぼっち』になりました。
そしてだいぶ調子が良かったはずのうつ病も悪化し、薬の量が増えてしまいました。
そんな時に僕は未来の奥さんになる人と出会うのですが、まぁ、それは過去にこの記事で語ったので詳しく語るのは辞めておきましょう。
そんな感じで僕はうつ病と向き合ったまま大学生とお笑い芸人をやって1年を過ごしました。
そして大学卒業の時に書いたのが最初に転載した記事です。結局は自分次第だみたいな事を書いています。
…はたしてそれはどうだろう。と、今の僕は思うのです。
うつ病について今思うこと
結局は世の中、自分次第。そう考えていた10年前の僕。でも今は、世の中には自分ではどうにもならない事が沢山あるのではなかろうか?と思っています。
僕に出来る事なぞ数限られていて、沢山の色々な力に支えられながら生きている。
まずは謙虚に。とにかく謙虚に。
どうにもならない事が起きたなら、自分の力じゃどうにもならないのだから、なるようになると身を任せること。
僕が今まで持っていた自信は、とことん崩れ去りました。
でもひとつだけ、生まれてから今までずっと変わらない考え方があります。それは僕は運がいいというもの。
僕はとことんツイている人間なのです。何があったというわけではありません。根拠となる出来事もそれほど多くはないでしょう。
でも、自分はラッキーな人間なんだと漠然といつもどこかで考えている自分がいて、それだけはなぜか揺らがないのです。
どれだけ苦しいことがあっても、辛いことがあっても。怒りを感じたり、涙を流すことがあっても。
僕は運がいい。
だからなんとか今もこうして生きている。
何度も死のうとしたけれど、すんでのところで何かが起きて、死なない。
この間も事故に合いましたが、車に轢かれても死なない。
僕は生きている。
生きてりゃー嫌なこともあるけれど、それでも運良く僕は生き続けている。
生きてりゃーうつ病にだってなるけれど、それでも僕は運がいい。
もうこうなってくると信仰の類みたいになってくるのかもしれないけれど、運がいいと信じきっている僕は、今回のこの不幸の連続もなんとか乗り切れる気がするのです。
たまーに変な詩を書くこともあるけどね。
とりあえず、どんな出来事も人に語れる種になる。色々な経験をするという事は、色々な人の気持ちが少しだけわかるようになるという事。
僕がこうやってうつ病について語るのも、僕がうつ病の経験をしたからだ。
そう思うと、うつ病になれてラッキーという気持ちにもなってきました。だって『ぼっち』って寂しいじゃんね。
これを読んでくれるどこかの誰かがうつ病で悩んだことがあるとしたら、もう『ぼっち』じゃなくなっている。
うん。
書き始めはちょっと落ち込んでいた気持ちでしたが、書いていたら少しだけ明るい光が見えました。
ありがとう。読んでくれて。一人でもこれを読んでくれる人がいたら、僕はとっても運がいい人間。
ツキを運んできてくれてありがとう。
ということで、全然まとめ方がわかりませんが、今日はこのあたりで。
うつ病について語りました。
期待していたような内容でなかったらごめんなさい。
ではでは。
野口明人