ネガティブとは才能だ!治らないやめたいと悩むのは勿体ない思考な人

ネガティブはほぼ治らないと言ったら、あなたに怒られてしまうでしょうか?ネガティブをやめたいと悩んでいる人に、勿体ないと言ったらどうでしょう。

ネガティブは才能だと褒めても反感を買ってしまうかもしれません。でも僕はそんなネガティブなあなたにこそ知ってもらいたい事があるのです。

ネガティブは悪ではないと。ポジティブも善ではないと

僕は根っからのネガティブで、ネガティブな自分に悩み、ポジティブになろうと頑張った事がありました。しかしその結果、僕はぶっ壊れました。

そして「ネガティブ・ケイパビリティ」という詩人ジョン・キーツの言葉に救われるのです。

だからこそ同じようにネガティブで悩むあなたに知ってもらいたい。ネガティブは才能なんだと。あなたはネガティブのままで構わないんだと。

この記事を読み終わる頃には、あなたは自分のネガティブが誇らしくなっていることでしょう。ネガティブは最高なのです。

こんなにガンガンにハードルをあげて大丈夫だろうかと心配になって来たネガティブな僕ですが、早速話の方に入っていくことにしましょう。

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ネガティブな人

ネガティブ思考_治らない_ポジティブ

ネガティブな人はひとつの事を何度も何度も考えてしまうかもしれません。どうしようもない事をあれこれ考えて不安にもなるかもしれません。

人の話している事が自分の悪口なんじゃないか?としんどい思いもした事があるかもしれません。

僕がまさにそうでした。いや、過去形じゃないな。今もそうです。僕は根っからのネガティブです。

あまりにも考えすぎて頭がパンクして、大学生の時にうつ病になりました。

そして病院で薬をもらって飲みながら日々を生活していました。大学を卒業する時もまだ薬を飲み続けていました。

うつ病と闘いながらも、僕は恋愛をし結婚をしました。

そして子供を授かり、しっかりしないといけないよな!なんて自分を奮起したのです。

しかし、子供は障害を持って産まれ落ち、すぐに死んでしまいました。病院の先生はご主人の飲んでいる薬のせいかもしれないねと奥さんに漏らしたそうです。

まぁ、その後にも授かった子供が死んでしまうという経験が立て続けに起こり、僕のせいで奥さんとは離婚することになったわけですが、僕は離婚をしてから自分のネガティブさをどうしようもなく憎みました

ネガティブである自分を嫌い、どうしてもくよくよ考えてしまう思考を呪いました。しかしどれだけ嫌おうが、呪おうが、ネガティブは消えないのです。

しかし、ある人は言いました。

ポジティブとポジティブシンキングは違うよ

と。

僕は最初、この意味がわかりませんでした。意味がわからなすぎて、誰がこの言葉を言ったかすら覚えていないぐらいです。

だから僕は考えました。くどくどずっと考えて考えて考えていました。ネガティブな僕、全開です。

そしてこういう事なんじゃないか?という答えが出た時に書いた8年前の文章が次のようなものです。

ネガティブのすすめ

僕は○○な人間です。ここに何かを当てはめるとすれば、

「僕はネガティブな人間です」

というのが一番初めに頭に思い浮かびます。

悪い思い込みが次から次へと浮かんできます。そしてへこみます。自分の殻にこもります。

でも、そんな自分を最近ようやく好きになれるようになりました。そんな話です。

今までの僕はコンプレックスの塊で、何から何まで自信がなかった。人に羨ましいと思われることまで嫌で嫌で仕方がなかったのです。

たとえば、身長。僕は187センチメートルあります。

小さい時から常に大きかったです。常に目立っていたのです。それを僕は勝手に解釈をし、人に期待されていると思いました。

そのプレッシャーに負けじとして、期待以上の事をしてきたつもりです。なんだかんだで、これでも学年トップとか取っていたんですよ。学校で選ばれる模範生ととかにもなっていたんですよ。

すごい人間だと豪語して、自分は神さまにでもなった気がしていました。

でも、メッキがはがれました。

僕はもとから大した人間ではなかったのです。世界を変えたりとか、人を幸せにしたりとか、大それた事が出来ない人間だと気が付いたのです。

それに気が付かず、世界を変えてやるんだ~とか、人を幸せにしてやるんだ~とか思って生きてきました。

かなりの傲慢な人間です。

世界なんて、勝手に変わるんです。幸せとは人に与えられるものではなく、人が自分の中で見出すものなのです。

僕は世界の一部分にしかすぎず、世界は僕の一部分なのです。

哲学的発想。

そんな事を考えず、がむしゃらに頑張れば、なんか変わるだろうと思いました。

だから、テレビに出たかった。

知っている人は知っているかもしれませんが、某、芸能プロダクションに入っていたんです。5年ほどね。

でも、結局のところ、自分が自分に潰されてしまった。人のせいにして、社会のせいにして、自分を変える事をしなかった。

自分の嫌いな所に目を伏せて、いいところだけ見せようと着飾った。

だから壊れた。

30歳まで頑張ると親に言ってしまったのにも関わらず、その半分で夢を諦めました。

後悔はしていません。

後悔がなかったわけではありません。後悔に目を向けたら、次から次へと溢れ出ます。

だから、後悔する事を辞めました。

いつの日か、何かが自分の中で起こって世界が自分を中心に回り始めるんだっていう考えを捨てました。

完全に負け犬です。

頑張りたくないです。働きたくないです。なんとかそれで人生を送っていきたいです。

そんな欲望を心に抱いてみました。

…でも、そんな自分好きになれそうにありません。

僕は気が付きました。

人の期待に応えようと思って頑張っていたのではなく、ただ、今の自分が嫌いなだけだったのです。

今の自分を抜け出そうともがいていただけなのです。

コンプレックスと思われていたものはすべて、自分を成長させる種だったのです。

自分が嫌いなら、嫌いな分だけ、好きになるノビシロが残されているのです。

僕は自分の嫌いな所が、大好きだったのです。

ネガティブ思考。

世の中、ポジティブポジティブポジティブ。ポジティブシンキングが良いとされています。

いいことだけ考えて、悪いことは考えない。いい言葉を使いなさい。

それが素晴らしい事だというのはなんとなくわかります。なんとなくポジティブが正義でネガティブが悪なのはわかります。

でも、その構図を抱いている限り、たぶんネガティブな人はネガティブを抜け出せません。

ネガティブ思考の最大の原因はネガティブが悪だと考えていることです。ネガティブが悪い物だと考えていることです。

まずは、ネガティブな自分を肯定することから始めるのです。自分の嫌いな所を嫌いな自分を好きになることです。

挫折、怠惰、慢心。いいじゃないですか。人間らしさの象徴じゃないですか。

コンプレックス?アイデンティティの間違いでしょう。

嫌い嫌い嫌い。その物事に真正面からぶつかっている証拠じゃないですか。

好きの反対は嫌いじゃありません。無関心です。

関心がなければ、何も起きません。嫌いになることから何かが見えてくることもあります。

悪いことが次から次へと浮かびます。とめどなくあふれ出て、どうしようもなくなります。

つまりはそれは人と繋がりなさいの合図でしょう?

自分は何でも出来る!自分はすごい人間だ!

そんなメッキは捨てちゃおう。

出来なかったら誰かにやってもらえばいい。次元の違う人間じゃないから人の痛みを共感できる。

世の中はネガティブであふれています。それだけ沢山の成長が待っているってことです。

不況だ不況だ!就職難だ就職難だ!

何か新しい事を生み出すチャンスの時でしょう?

どん底まで落ちれば落ちるほど、登りがいがある人生になります。

人生は際限のないオセロです。今は碁盤が真っ黒でも、それだけひっくり返すところが多いってことです。

どんなにつらい人生でも、どんなに自分が嫌いでも、死ぬときに笑って、自分が好きだと言えたなら、それでいい。

最後のでっかいポジティブを手に入れる為に、ひたすらネガティブを突き進もう。

ネガティブ、万歳。

野口

今あらためて読んでみると、すっごく頑張ってテンションを上げている気がしてなりません。頑張ってポジティブに対抗している気がしてなりません。

ネガティブを良しとするために、ポジティブに憧れながらもポジティブを叩いているのです。

しかし、そんなふうな僕を救ってくれたのは冒頭にも話した詩人ジョン・キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」が書かれた一通の手紙でした。

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ネガティブ・ケイパビリティ

詩人の手紙 (冨山房百科文庫 5)

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ジョン・キーツ
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I had not a dispute but a disquisition with Dilke, upon various subjects; several things dove-tailed in my mind, and at once it struck me what quality went to form a Man of Achievement, especially in Literature, and which Shakespeare possessed so enormously—I mean Negative Capability, that is, when a man is capable of being in uncertainties, mysteries, doubts, without any irritable reaching after fact and reason—

引用:「Negative capability」Wikipedia 英語版

ディルクとさまざまな問題について論争ではなく考え合いをした。いくつかのことがぼくの心の中でぴったりと適合しあい、すぐに次のことが思い浮んだ。それは特に文学において偉大な仕事を達成する人間を形成している特質、シェイクスピアがあれほど厖大に所有していた特質、それが何であるかということだ—ぼくは「消極的能力(ネガティヴ・ケイパビリティ)のことを言ってるのだが、つまり人が不確実さとか不可解さとか疑惑の中にあっても、事実や理由を求めていらいらすることが少しもなくていられる状態のことだ—

引用:「詩人の手紙」ジョン・キーツ, 田村英之助訳(冨山房)

この中で使われているネガティブ・ケイパビリティという言葉には、ピッタリと来る日本語訳は定まっていないらしいです。それは「漢字」には意味が含まれてしまうから。

ネガティブと言えば日本語に訳せば「消極的」「否定的」などあまり望ましいものではないものが思い浮かべられますが、ジョン・キーツがこの手紙の中で使っている「ネガティブ」にはそのような意味は含まれていません。

どちらかというと、シェイクスピアも所有していた創造的で好ましいものという意味で使っています。だから「消極的能力」「否定的能力」のようなマイナスなイメージを持つ漢字では似合わないのです。

ジョン・キーツは、悩める現代人にもっとも必要なものは共感することだと言いました。そしてその共感を生むのは容易に答えの出ないことに耐えうる能力(ネガティブ・ケイパビリティ)だと提唱しました。

なんか難しい事を言っている気はするのだけれど、つまりネガティブには「容易に答えの出ないこと」という意味があるわけです。

そしてそこには共感を得るための必要なステップが含まれていらしい。

野口明人
野口明人
なんか「ネガティブ」って言葉、いい意味で使われてね!?

「ネガティブ」と聞くと、今までの僕はどうしてもマイナスなイメージを持ってしまっていたけれど、この手紙を読んで、本来言葉自体にはマイナスもプラスもない事に気が付いたのです。

ネガティブな人だから出来る事

ネガティブな人だから出来る事

たとえば「雨」という単語を聞いて、それを恵みと捉える人もいるだろうし、陰鬱さの象徴だと捉える人もいる。要は言葉に対してマイナスかプラスかを付加しているのは人間の頭なのです。

そしてジョン・キーツはネガティブこそが偉人たちを偉人たる存在にしているものだと言っています。

ネガティブな人特有のどうしようもないものを何度も何度も考えてしまうというのは、ある意味では何度も何度も考えることが出来るとも言えます。

ネガティブ(不確実で不明瞭)な事をずっと考えられる。そこから創造力は生まれてくる。その創造したものに人々が共感する。シェイクスピアの作品が多くの人に受け入れられたのは、ネガティブな状態を維持出来たからです。

つまり同じことを何度も何度も考えられることは才能なのです。

僕らはどれだけ他人になりたいと思っても、その人自身になることは出来ません。だから他人の気持ちを理解する方法は、想像する事以外にありません

その不確かな想像をずっと続ける事でしか人の気持ちに近づく事、共感する事は出来ません。ネガティブな人というのはだから人に共感しやすいのです。だから人の気持ちを考え、些細な事にも傷つきやすいのです。

そんな事を僕は考えました。

そこで僕は「ポジティブとポジティブシンキングは違うよ」という言葉を思い出しました。

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ポジティブとポジティブシンキングの違い

ポジティブ_ポジティブ思考の違い

ポジティブやネガティブ。これはその人が生まれ持っている特性なのではなかろうか。物事を深く考えずに生きていける人。物事を深く考えるように生きていく人。

そこには善も悪もない。ただの生き方の違いだ。つまりポジティブやネガティブは先天的に備わっている個性なのだ。

一方ポジティブシンキングというのは、物の捉え方の方法なのではないだろうか。あるものを見てそれをどう捉えるか。良いものだと捉えるか悪いものだと捉えるか。

これはある意味トレーニングによって身につけることが出来る、後天的なものだ。

雨を見て、良いものだと捉える人は過去にそういう経験をしたからだ。雨を見て、悪いものだと捉える人は過去に雨で嫌な思い出があるのでしょう。

つまり経験(トレーニング)によって変わってくるもの。生まれた後で手に入れられるもの

つまりネガティブな人がポジティブシンキングを手に入れる事も出来る。ポジティブな人がポジティブシンキングを手に入れる事も出来る。ポジティブシンキングとは単なる装備なのだ。

そんな事を考えたのです。

そーか。僕はネガティブなのがいけないのではなく、ネガティブシンキングがイケなかったのか。物事をくどくどと考えてもいいんだ。何度も不安になってしまってもいいのだ。だってそれは想像している最中なのだから。

そんな事を考えたのです。うん。

そして調べてみると実に多くの活躍している人がネガティブであることを知りました。

ネガティブでも活躍している人

ネガティブな偉人

スティーブ・ジョブズは「消費者に、何が欲しいかを聞いてそれを与えるだけではいけない。完成するころには、彼らは新しいものを欲しがるだろう」と言いました。

ネガティブだったからこそ出てくる発想だと思います。でもだからこそ、あんなすごいもの、MacやiPhoneやiPadなどをバンバンと生み出すことが出来たのです。

ダイソーの社長、矢野博丈もダイソーはつぶれると確信していたそうです。生まれてきたものは皆死ぬのが宿命だから。お客さんはすぐに飽きる。ずーっと怖くて眠れなかったそうです。

経営計画、戦略、そんなもんないとまで言い切っています。人間は先を見通す能力なんてないのだからと。

でもだからこそ、その場でもっとも的確な判断を下すことが出来、心配性だからこそ問題にもいち早く気がつくことも出来るのです。

考えてみれば、経営者だけでなく、文豪たちもネガティブな人多いんですよね。夏目漱石もそうだし、太宰治もそう。朝起きたら虫になってたという奇抜な物語「変身」で有名なフランツ・カフカもそう。

ネガティブが人々に受け入れられていないわけではないのです。むしろネガティブな人の方が受け入れられている確率としては高いのではないのでしょうか。

なぜなら、ネガティブな人は共感する能力に長けているからです。

ネガティブな人が虐げられる原因

ネガティブな人が虐げられる原因

でもネガティブな僕はそこでまた考えました。それならばなぜ人々はポジティブ、ポジティブと、ポジティブを称賛するのだろうかと。

それはきっと先天的なポジティブが多いからです。そしてポジティブとポジティブシンキングを混同している人が多いからです。ネガティブとポジティブシンキングは相容れないものだと考えてしまっている人が多いからです。

だからネガティブは悪いものだとし、ポジティブを称賛するのです。

人は社会の中で生きる動物です。より多くの数を持つものが力を持ちます。数の少ないものを多くの数に巻き込もうとします。ポジティブな人はネガティブな人にポジティブになろうぜと誘ってきます。

ただ先程も言いましたが、ネガティブとかポジティブは生まれながらにして備わっているものです。変わりません。それなのに同じになろうとするから両者ともに疲れてしまうのです。

ちょっと調べてみればわかると思いますが、ポジティブな人はネガティブな人と一緒にいると疲れると言っているでしょうし、同様にネガティブな人もポジティブな人と一緒にいると疲れると言っています。

ですが、ネガティブな人は少数派なので、多数であるポジティブを誘おうとは思いません。ポジティブだけがネガティブをポジティブに誘い込んでくるのです。

だからネガティブな人は生きづらいのです。その事がネガティブ思考を生み出し、さらに悪い方向へ考えが進んでいきます。ネガティブはいけないものだ。ネガティブな自分が嫌いだ。ポジティブにならないといけないのに、ポジティブになれない。

しかし男性と女性が全く別の生き物でもお互いを理解してうまく生活出来ているように、ネガティブとポジティブも共生して生きていくことは出来ます

それは生き方を変えられなくても、考え方なら変える事が、適応させる事が出来るからです。

ネガティブがいけないのではなく、ネガティブ思考がなぜ人々に受け入れられないのかを理解すればいいだけの話なのです。

ネガティブな人はそれを理解し、適応して生きていく。そうするだけで自分のことが嫌いになったりするネガティブ思考のループから抜け出すことが出来ます。

ネガティブでも良いのだと自分を好きになることが出来ます。なのでなぜネガティブ思考が嫌われやすいのか考えてみることにしましょう。

ネガティブ思考がなぜ人々に受け入れられないのか

ネガティブ思考が嫌われる理由

ここからは僕が考えるネガティブ思考が人に嫌われる理由をあげていきます。そしてその対応策も。

あくまでもこれは僕の考えた経験則なので、別の考え方もあるかもしれません。環境や対応する人も違うわけですし、必ずしもこれが良いというわけではありません。

ですが、大切なのは適応さえすれば、ネガティブでも良いのだと自信を持つ事。ネガティブな自分を嫌いにならない事です。

ということで、いくつかのポイントをあげていきましょう。

ネガティブ思考が嫌われる理由1:同じことを口に出す

ネガティブ思考が嫌われる理由-01

ネガティブな人は何度も何度も考える事が出来る人だということは言いました。

しかし、通常、人は同じことを何度も言われる事に慣れていません。何度も同じことを言われるとうんざりしてしまうのです。

そこであなたに出来る対応策は、人に伝えるのをやめるか、同じことを別の形にして伝える練習をするかです。

心理学的に、人は同じことを3回繰り返さなければ頭で理解出来ないらしいのですが、同時に3回も同じことを繰り返す事を嫌がる特性があるらしいです。

なので、人に何かを教える人が上手な人は、同じ現象を形を変えて人に教えます。

それを利用し、どうしても人に言いたくなった時は同じことを言うのではなく、形を変えて相手に伝えてあげる。そうするだけで、相手はうんざりすることが減ります。

ネガティブ思考が嫌われる理由2:否定的な言葉を使う

ネガティブ思考が嫌われる理由-02

ネガティブな人は色々な事を想像する事に長けています。様々な状況を想像する事が出来るのです。

その中には危機的な状況も含まれている事でしょう。

それが見えている為に、どうしても物事に対して否定的な見方をしてしまうのです。

それは別に悪いことではありません。ですが、それを言葉に出すとなると別問題です。

言葉は力を持ちます。別にスピリチュアルな話ではなく、医学の世界で催眠療法というものがあるように、言葉は無意識に働きかける事が出来る道具なのです。

あなたが例えば否定的な言葉を口に出すとします。あなたは誰かに向かって言ったつもりかもしれませんが同時に、あなたの耳が無意識に聞いてしまっているのです。

するとそれが根強く心に残ります。否定的な意識に占領されてしまいます。

人間の意識は意識している事が3%、無意識が97%だと言われています。無意識は強力なのです。

結果的に、今までは数ある一つのアイディアだったものが、確定的な事実のように思えてくるのです。確定的な回避すべきことに。するとそれを伝えたくなって仕方がなくなります。

しかし相手は無意識に聞いているわけではなく、意識を傾けて言葉を聴いているわけですから、それほど強烈には心が動かされていません。

するとあなたと相手の物事に対する捉え方に差が生じ始めます。あなたはその差を埋めるために、必死に相手に語りかけます。なんで伝わらないの?と何度も同じことを繰り返します。

1の所で言いましたが、同じことを繰り返し言われると人はうんざりします。だから否定的な言葉は人をうんざりさせてしまうのです。

もしこれが否定的な言葉でなければ、確定的な事実として捉えたとしても、回避する必要はないことですから、相手に伝えなければ!という気持ちにはなりません。

なので世間では良い言葉を使えば人生が変わると言われているのです。

ネガティブのまとめ

ネガティブ・ケイパビリティ_まとめ

え!?ネガティブ思考が嫌われる理由2つしかないの!?と驚いたかもしれません。

はい。2つしかありません。というか、根本的な問題は1つだけなのです。

ネガティブ・ケイパビリティを持っているかそうでないか。容易に答えの出ないことに耐えうる能力があるかないかだけなのです。

人は自分がそうではないものを押し付けられる事を嫌います

何度も何度も同じことを考えられる人(ネガティブな人)は別に構いませんが、何度も同じことを考える事が嫌な人(ポジティブな人)もいます。

ネガティブ思考の人はそれを相手に押し付けてしまいがちなのです。同じことを何度も相手に同じ言い方で伝えてしまいがち。

だからこそ、そういう状況を作らないためにポジティブシンキングが必要だと捉えてみる。

ポジティブシンキングを身につけることは、相手に同じことを言わないようにする練習なのです。

他の言い方が出来ればいいのです。それは練習によって身につける事が出来ます。

そう考えるとポジティブシンキングも難しいものではない気がしてきませんか?

否定的な考えもひとつのアイディア。それは必要です。それに固執さえしなければいいのです。

言ってみれば世の中のポジティブ思考崇拝者たちだって、ネガティブ思考の塊です。ひとつの事に固執しているわけですから。ポジティブでなければならない必要などないのです。

ポジティブとネガティブ。それは生まれながらにして別のもの。お互いがそれを理解して、お互いが心地よく暮らしてくように思いやれば良いのです。そのために必要なのがポジティブシンキング。

…なんか言いたいことうまく伝えられていない気もしてきましたが、ネガティブは悪でもないし、ポジティブも善ではない事が伝わっていたらいいかなと。

ネガティブ・ケイパビリティの意味でのネガティブのように、世の中は容易に答えの出ないことばかりです。

それをあれこれと想像してみる。どっちにも決めずにふわふわっとしながらも試行錯誤していく過程が何よりも必要なのだと僕は思いました。

わずか25歳で亡くなったジョン・キーツはあまり有名な人ではないのかもしれないけれど、弟に送った手紙の中に大切な事を書き残してくれました。

僕はその言葉で救われました。

あー、ネガティブでいられるのは才能なのかも知れない。別にこの自分を嫌う理由なんてないのではないか?と。

ということで、ネガティブが治らない、ネガティブ思考をやめたいのポジティブになれないと悩んでいるあなたの心が少しでも軽くなってくれたら、僕は嬉しいです。

ここまで読んでいただき本当にありがとうございました

野口明人

これを読んで、嫌な気分になった人がいたらごめんなさい。押し付けてしまいがちだと自分で書いておきながら、押し付けがましい文章を書いたかもしれません…。

おまけ:ジョン・キーツとの出逢い

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野口明人
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本編は終わりましたが、ここからはおまけコーナーです!

いやー、今回はジョン・キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」の話を取り上げましたが、なぜ僕が彼を知ったかというとですね、ジョン・キーツの叙情詩に『エンディミオン』、『ハイペリオン』、『ハイペリオンの没落』ってのがあるんですね。

このタイトル。もしかしたらSF小説大好きな人は知っているかもしれません。そう。これらはダン・シモンズという現代のアメリカ作家が同タイトルでSF小説を書いているんですよ。

僕がネガティブ思考の渦に苛まれている時、外に出るのも怖くなり、引きこもってアニメばかり見ていました。

そのアニメの中に『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品があるんですが、その登場キャラで長門有希というのがいて、本ばかり読んでいるんですよね。

んで、僕は長門有希が大好きで、彼女が読んでいる本に興味を持ったんです。そしたら角川の企画か何かで『長門有希の100冊』ってのがあったんですよ。

その中にダン・シモンズの作品、『エンディミオン』が入っていたのです。

このエンディミオンはハイペリオン四部作と呼ばれるシリーズの3作品目。なんと1作品目の名前が『ハイペリオン』で2作品目が『ハイペリオンの没落』なんですよね。

まるまるジョン・キーツの詩の名前から取ってあって、ジョン・キーツの物語詩を元に再構築した物語なのです。

SF作品はあまり苦手な僕でしたが、ヒューゴー賞・ローカス賞・星雲賞受賞作という言葉につられて読み始めたらこれが面白くて。それでジョン・キーツを知ったのです。

まさか、ネガティブ思考のループから抜け出すきっかけが苦手だと思っていたSF小説とは。世の中、何がきっかけになるか本当にわからないものですね。

よかったらハイペリオン四部作、挑戦してみてくださいませ。もちろんネガティブ・ケイパビリティの本も良いですけどね。

それではまたどこかでお会いしましょう(´・ω・`)ノシ

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