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『若きウェルテルの悩み』を読んだ。消しゴム拾ってくれたあの子は…

若きウェルテルの悩み

著者:ゲーテ
翻訳者:竹山道雄
出版社:岩波書店(岩波文庫)
出版年月日:1978/12/1
ページ数:275ページ
ISBN-10:4003240510

『若きウェルテルの悩み』という小説が湊かなえの『告白』という小説の中に出てきたので、気になって読んでみる事にした。

ゲーテと言えばドイツの詩人でファウストが有名だと言う事しか知らず、その有名なファウストすら大学の時に先生に勧められて購入し本棚に飾ってあるぐらいで読んだこともなかった。

ゲーテ。僕の認識だと詩人のような気もしたのだが、一体どんな物語を書くのだろうかと読み進めていった結果、太宰治の『人間失格』を読んだ時以来の衝撃を受けることになる…。

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10秒でわかる『若きウェルテルの悩み』のストーリーのまとめ

若きウェルテルの悩み…

過去のいざこざから新しい地に赴いたウェルテルはロッテという女性に出逢い心惹かれる。しかしロッテにはアルベルトという婚約者がおり、ウェルテルから見てもアルベルトは素晴らしい人間だった。心機一転、役所に勤めロッテへの思いを断ち切ろうとするが上司と上手く行かず挫折する。再びロッテの元に戻ったウェルテルだったが、知らぬ間に結婚していた二人とその冷たい態度にウェルテルの心は更に落ちこみ、ある事件をきっかけに一つの決心をするのだった。

もし、あなたに喫茶店で『若きウェルテルの悩み』ってどんな本?あらすじは?と聞かれたなら…

野口明人

この本は一言で言えば、“青春の苦悩”なんだ。
この小説はウェルテルが友人、ウィルヘルムに宛てた書簡の形で進行していくのね。最初に読んだのは新潮文庫で高橋義孝訳の方のウェルテルを読んでみたんだけど、どうも内容がすっと頭に入ってこなくて、前にドストエフスキーを読んだ時も新潮から岩波に変えたら読みやすかったっていう事があったから、今回も岩波の竹山道雄訳に変えてみた。

ちぐのさん

野口明人

そしたらスラスラと内容が入ってきた。それはもちろん、僕の頭がわからないなりに新潮文庫版ウェルテルをなぞっていたからかもしれないけど、それにしても読みやすかった。
…ただ、それは日本語訳の上での話。正直に言ってしまえば、この本は書簡形式の小説だからかもしれないけど、読者には優しくない文章の書き方でね。話があっちこっち飛び回り、理解しづらい。人間の感情なんてそんなものなのかもしれないけど、感情をどかーんとぶつけた手紙だからか、話の趣旨をつかむのに時間がかかった。

ちぐのさん

野口明人

なので最初の方は少々の我慢が必要だったね。大体200ページ足らずの作品だし、その最初の30ページほどを我慢して読み続けることが出来れば、この本は非常にテンポよくページをめくれるようになると思う。だからまぁ、この小説がどんなあらすじなのかを知っておいてもいいんじゃないかな。
と、ゆーことであらすじの説明。いい感じのお坊ちゃんだったウェルテルはお母さんだか叔母さんだかの金銭トラブル、遺産問題をきっかけに新しい土地に赴く。転地療法みたいなもんだね。

ちぐのさん

野口明人

そこでウェルテルは美しい風景を見たり、煩わしい身分格差を忘れて色々な人と触れ合ったり、いい感じの料亭を見つけて読書に耽ったりと、その素晴らしさを友人ウィルヘルムに手紙で知らせていた。もちろん新しい土地で親しい友人を見つけるのに苦労していたみたいだけど。
そんなウェルテルはとある公爵と知り合う。率直でりちぎな人なんだそうで、ウェルテルも気に入った。子供が9人もいるらしいんだけど、奥さんが最近亡くなってしまって、一番上の長女が母親代わりに8人の弟や妹の面倒を見ている。その長女ってのがこの物語のヒロインのシャルロッテ、通称ロッテなのね。

ちぐのさん

野口明人

ロッテは近所でも評判が良く、ウェルテルはこのお嬢さんと舞踏会で知り合うんだけど、知り合いからロッテには婚約者がいるから好きになっちゃ駄目よ?なんて釘を刺されていた。しかしなんとまぁウェルテルはその忠告を聞かずにロッテに惹かれてしまう。
ロッテの婚約者アルベルトは出張に出ているらしく、ウェルテルは暇を見つけてはロッテの元へ通うようになってね。これまた弟や妹達に好かれてしまったもんだからウェルテルは居心地が良い。

ちぐのさん

野口明人

ロッテと関われば関わる程彼女の美しさや感性をどんどん好きになってしまうウェルテル。もうあれだね青春期特有の恋に恋い焦がれるってやつ。好きになったらどうにも自分を止められない。山本リンダ状態。もうどうにもとまらない。
しかし、やっぱりその時は訪れる。婚約者のアルベルトが帰ってくるの。わかってはいた事だけど、つれー。しかもアルベルトと話してみるとすげーいいやつで更につれー。これはダメだとウェルテルは勇気を出してロッテの元から去ることを決意。

ちぐのさん

野口明人

新しい土地で仕事に没頭することでロッテを忘れようと。忙しくしていれば悩みなんて消えちまうだろうと。
…が、職場の人間がすげー嫌な奴。書類を提出すると、これでいいの?もっといいの出来るんじゃないの?あ、ここ接続詞が一個抜けてるよ?とちまちま、ちまちま小言を言ってくる。

ちぐのさん

野口明人

さらにここで関わる人々は皆、身分がどうのとうるさいやつばかり。もちろんウェルテルもある程度は身分格差は必要だと認めているのだけれど、ざますざますと高い身分にしがみつこうとしている奴らに辟易してしまう。
ウェルテルはどうにも我慢ならず徐々にロッテのことが恋しくなってきてしまい手紙を書いたりしてね。こちらで親しくさせてもらっているお嬢さんがあなたに似ているんですよーなんて。そんな折にアルベルトとロッテが結婚してしまった事を知る。結婚式も呼ばれてない。知らぬ間に結婚してしまった。ウェルテル、大ショック。

ちぐのさん

野口明人

さらにさらに、こっちの方で親しくしていたお嬢さんとも身分の違いがどうので周りから侮辱されウェルテルは流石にキレてしまう。仕事を辞め、親しい公爵の元で暮らし、戦争へ行こうと決意。しかしそれも止められる。
公爵と話をしていても学ぶものはない。つまらない。あぁロッテと話している時はこんなことないのに。ここにもやはり長くいられない。そして結局ロッテの住む土地へ戻ってきてしまう。

ちぐのさん

野口明人

もうこの頃のウェルテルはだいぶ神経が衰弱していて、考えも妄想的になってるんだよね。ロッテにはアルベルトよりも自分の方がふさわしいとか考え始めてね。妄想一直線。
こんなにもロッテを愛しているのは僕以外に考えられないだろう。とかね。まぁ、ここから先はWikipediaにも書いてある事だし、新潮文庫の裏表紙にも書いてあるし、結構有名なオチなので話してしまうけど(ネタバレ嫌な場合はここですぐにページを閉じる)…

ちぐのさん

野口明人

どんどん衰弱していってね。最後には自殺してまうわけだよ。ウェルテル。
その事件の引き金になったのが、ウェルテルの知り合いでもあった作男、まぁ、お手伝いさんみたいな人が自分の雇い主である未亡人の奥様を好きすぎて、クビになり、さらには新しく来たお手伝いさんを殺してしまう。あの奥様には新しい男は必要ないんだー!と。

ちぐのさん

野口明人

犯人の作男はウェルテルの知り合いだったし、ウェルテルはその作男に自分を重ねて同情を感じずにはいられなくてね。なんとしても助けてやろうと思うわけだよ。代弁者として。でもそれをアルベルトとロッテの父公爵に反論されてしまう。
あぁ。もうダメだ。ロッテロッテロッテ。あぁ。…とまぁ、ごっそり精神を削られてしまい、アルベルトは冷たいし、ロッテも冷たいし、死ぬしかない!と。

ちぐのさん

野口明人

アルベルトが持っていた拳銃を貸してくれとウェルテルはお願いする。僕は旅に出るから安全のために出来ればその拳銃を貸してくれまいかとね。アルベルトはしょっちゅうウェルテルから死ぬ死ぬと「死ぬ死ぬ詐欺」をくらっていたし、まさか自殺なんかするわけないと貸してあげなさいとロッテに手渡す。
ロッテは嫌な予感しかしなかったけど、旦那があぁ言うんだし逆らえないわと、拳銃をウェルテルのお手伝いさんに渡してしまう。

ちぐのさん

野口明人

ウェルテルの元に戻ってきたお手伝いさんから拳銃を受け取るウェルテル。その時の状況をお手伝いさんから聞き、その拳銃はロッテが手渡したものだと知ったウェルテルは、おお。ロッテが触った拳銃なのか。愛しいロッテがー!!と拳銃にすらすがりつく精神状態。
ロッテが触った拳銃で死ねるなんてなんて自分は幸せなのだと自決。…とまぁこんな感じのあらすじなわけだけど、もうねなんというか懐かしさを覚えたよね。

ちぐのさん

野口明人

恋愛ってこうだったよなーって。人を好きになるともう、その人の事しか考えられなくなって、その人の一挙手一投足が気になってね。その人が触った消しゴムだー!とか拾ってもらった消しゴムを大事にしたりして。その人を諦めなくちゃいけない状況に追い込まれた時なんて人生終わった気がしたり。
もうこんなに人を好きになることなんてないんだ。もうこんな人には二度と出会えない。とか。お先真っ暗。胸が苦しくなって涙止まらなくて。新しく人を好きになってもその人と比較してどうしても忘れられなくて苦しむ。比較している事が申し訳なく新しい恋愛も失敗する。

ちぐのさん

野口明人

前向かないといけないんだけど、どうしても過去ばかり見つめてしまう。こんなに苦しい日々が一生続くような気がして死にたくなってくる。選択肢がなくて、どうしようもなくて、唯一残された自分の命の選択をしてしまおうという気になってくる。
そんな青春の恋。あの頃は想像力がなかった。星の数ほど可能性は広がっている事を知らなかった。これからどれだけ素晴らしい出会いが沢山待ち構えているのかを知らなかった。失恋で受けたショックを昇華させ打ち込める物がなかった。

ちぐのさん

野口明人

そんな若かりし日の自分をウェルテルは写し出しているようで、もうなんというかいたたまれない気持ちになったね。大学生時代に太宰治の人間失格を読んで、あぁこれは僕のことを書いているんだ。っていう錯覚に陥ったときの衝撃に似たものを感じた。あぁこれは過去の僕の事を書いているんだっていう。
今となっちゃあ「恋愛なんて宗教だ」と冷めきっている自分がいるけどね。恋人がいないと負け組、好きな人はいて当然、天気の話か好きな人の話が定番トーク。街中どこを見ても恋愛させたがっている雑誌やテレビ番組、お店達。こりゃー恋しないと仲間はずれにされちゃうから、恋しているフリをしているんだぁと。

ちぐのさん

野口明人

ま、人生で一人運命の人に出会えればいいんだ。いつかその時が来たら自然と好きになって、恋しようなんて思わなくても恋する時が来るだろう。その時まで自分を磨いておこう…と今の自分は思っている。思えるようになっている。
どうやら、このウェルテルは作者ゲーテの実体験を書いた私小説のようだよ。シャルロッテ・ブッフっていう人がロッテのモデルでね。実際に自殺すら考えて思い悩んでいた時に、友人が人妻への失恋から自殺しちゃった。ウェルテルでいう作男事件のような事が起きたわけ。

ちぐのさん

野口明人

その事件がきっかけでウェルテルはピストル自殺を決意するわけだけど、ゲーテはそれを小説への情熱に変えたんだね。ゲーテには想像力という強い味方がいた。やっぱり何かに打ち込めるものがある人間っていうのは強い。
んで、この作品が生まれたわけだけど、それまでも失恋小説ってのはあったけど、自殺しちゃうような内容ってのがなかったみたいでかなり賛否両論だったらしい。書簡形式ってのも新しかったみたいで。

ちぐのさん

野口明人

さらにはウェルテル効果で影響を受けて、自殺する読者まで出てきた。それだけ一度でも恋をした人ならば、この作品のどこかに共鳴できる部分があるんだろうね。特にラストの発狂ぶりなんて圧巻だしね。ものすごく狂っているように書かれているのに、共感出来てしまう。恋愛ってそうだものね。
10年後、20年後、振り返ってみればあの頃の自分は若かったなぁって考えられる事でも、その当時の自分にはそれが全て。恋愛って恐ろしい。そしてだいぶ昔に書いたはずのゲーテさんのこの小説を読んでも共感が出来てしまうってのは恋愛する人の心ってのは今も昔も変わらないんだなぁと。それを書き上げたゲーテさんはすげーお人なんだなぁと。そんな事を思いました。

ちぐのさん

野口明人

かの有名なナポレオンはこの小説を胸に忍ばせていて、7度も読んだのだそうだ。吾輩の辞書に不可能はないって言われているぐらいだから、辞書しか読んでないのかと思ったけど、恋愛小説読むんだね、ナポレオン。
あ。ちなみに、岩波を読み終わった後に、ちょっと経ってからだけど、新潮の方も読んでみたら案外スラスラと読めた。やっぱりストーリーを頭に入れてから読むと本ってのは読みやすいもんだね。どちらの訳が勝っているとかはないと思う。パラパラと読んでみて自分が読みやすいと感じた方を読むのがいいよ。新潮の方が意訳で読みやすいって声は多いけど。

ちぐのさん

野口明人

ま、興味が湧いたらAmazonのレビューみたり、Wikipediaで調べたりしてみてよ。新潮文庫の方がレビューが多いけど、岩波の方が評価が高いんだね。って言ってもどちらも高評価だから好きな方で。

…そんな事を『若きウェルテルの悩み』についてクリームソーダのアイスを溶かしながら、カフェで話すと思います。

『若きウェルテルの悩み』で気に入った表現や名言の引用

すべての人の営みは、しょせんはさまざまの欲求を満たすためのものだ。

17ページ

災いにせよ恐れにせよ、それが燕楽のさなかに不意に襲ってくるときには、おのずから平素よりも強烈な印象をあたえるものである。それは、ひとつには両者の対照がつよく感ぜられるからでもあり、ひとつには、そしてよりはなはだしくは、われわれの感覚が開放されて敏感になっていて、一そう早く印象を受けいれるからでもある。

35ページ

日も月も星も依然としてその運行をつづけながら、私にとっては昼もなく夜もなくなり、全世界は身のまわりから姿を没した。

38ページ

おまえが友にむかってなしうるのは、ただ友のよろこびをよろこび、自分もそれに与ることによってその幸を増す、ということだ。

46ページ

かつて私がたまたま居あわせたある情景の思い出が、すさまじい力をもって私を襲った。私は手巾をとって目にあてて、この座を出た。

47ページ

著者は作品の改訂第二版を出すと、たとえそれが芸術的にはずっとよくなっていても、かならず自分の本を傷つけることになる。第一印象は入りやすい。人聞はどんな荒唐無稽な話でも、聞いているうちに自然とこれがあたりまえと思うようにできている。そして、それがすでにしっかりと根を下ろしてしまう。だから、これを削ったり抹殺したりすると、とんでもない目にあう。

70ページ

なんでも優良な血統の馬があって、駆りたてられて激して苦しくなると、本能的に自分の血管を咬みやぶって、呼吸を楽にする、という話をきいたことがある。ときどき私も自分の血管を開きたい。そして永遠の自由をかちえたい。

101ページ

公爵は私の知性と才能とを、私の心情よりも高く評価している。しかし、この心情こそは私が誇る唯一のものであり、カも、浄福も、悲惨も、すべてはこの泉から湧く。ああ、私が知っていることは何人も知ることができる。―――ただ、私の心は私だけのものだ。

105ページ

ときどき不可解な気がする。私がこれほどにもただあのひとだけを、これほどにも熱く、これほどにも胸いっぱいに愛して、あのひとのほかには何も知らず、何も解せず、何も持ってはいないのに、どうしてほかの男があのひとを愛することができるのだろう?愛することがゆるされるのだろう?

109ページ

捉えようと手をさしのべるのは、人間のもっとも自然な衝動だ。子供はほしいものがあれば、なんにでも手をだす。―――それだのに私は?

121ページ

以上、「若きウェルテルの悩み」 ゲーテ著 竹山道雄訳 岩波文庫より引用。

こうまでしつこく想像力をはたらかせて過去の不幸を反芻せずに、虚心に現在を生きて行けたら、今より苦痛がすくなくてすむんだがね。

奸計や悪意なんかよりも、誤解や怠惰のほうがよっぽどいざこざの基になるんだね。

人間なんてものは何の変哲もないものさ。大概の人は生きんがために一生の大部分を使ってしまう。それでもいくらか手によどんだ自由な時間が少しばかりあると、さあ心配でたまらなくなって、なんとかしてこいつを埋めようとして大騒ぎだ。まったく奇妙なものさ、人間というやつは。

人間活動のいっさいが、ぼくらのみじめな生存を長びかすということ以外には、何も目的らしい目的を持たない欲望の満足だけを結局はねらっている

学問のある学校先生や家庭教師の方々は、口をそろえて、子供というものは自己の欲求の拠ってきたる所以を知らぬとおっしゃるのだが、大人だってそうじゃないか。子供たちと同じにこの地上をよちよち歩きまわってさ、どこからやって来てどこへ往くのかを知りはしないし、本当の目的に従って行動しもしないし、ビスケットやお菓子や鞭であやつられているわけなんだが、不思議だね、誰もそういう実情を信じたがらない。

無限に豊富なのは自然だけだ。自然だけが大芸術家を作り上げるんだ。

規則というものはどんなものだって、自然の真実な感情と真実な表現とを破壊するものなんだ。

この間、絵について書いたことは、たしかに文学にもあてはまる。問題はつまり、すぐれたものをはっきりつかんで、それを思い切って表現するということにあるんだ。言葉はすくなくったって、むろんいろいろのことが含まれるわけだ。今日見た一情景なんぞは、そのまま写せば、飛び切りの牧歌詩だったろうが、文学だ情景だ牧歌詩だなんて、そんなものはどうだっていいじゃないか。自然の現象に親しんでいればいいんだ。技巧なんか何の役にも立つものか。

天使、かな。——陳腐だ、陳腐だ、誰だって好きなひとをみんなこういうからね。でもぼくには、そのひとがどんなに完全か、なぜ完全か話せはしないんだ。

ウィルヘルム、はっきりいうよ、ぼくは誓ったんだ、ぼくが愛し求めているひとにはぼく以外の誰ともワルツは踊らせない、たといそのためにぼくの身が破滅しようとも。

何かたのしみ事の最中に不幸だとか怖いことだとかが急にやってくると、そうでない場合よりもどぎつい印象を与えられるものだ。

太陽も月も星もぼくにはどうでもよくなってしまったんだ。昼も夜もあったもんじゃない。全世界がぼくのまわりから消えうせて行く。

未来というものも、遠方と何の変りがあるだろう。大きな漂うような全体的なものがぼくらの魂の前に横たわっていて、ぼくらの感情はぼくらの眼と同じようにその中にのみこまれてしまう。本当にぼくたちはぼくたちの全存在をささげて、たった一つの大きな壮麗な情感のいっさいの歓喜をもってぼくら自身を満たそうとあこがれるんだ。——ところが、ところが、急いで行ってみれば彼岸が此岸になってしまえば、すべてはもとどおりなんだ。ぼくらは相変らず貧相で狭く、逃げ去った幸を求めて魂はむなしく息を切らしているのだ。

人間が互いに苦しめ合うくらい、ばかげたことはないんだ。ことに若い人たちがいっさいのよろこびにたいして最も開放的でありうる人生の春にさ、せっかくの日を二日なり三日なりしかめづらをして台なしにし合う、そうしてずっとあとになって初めてああばかなことをしたと悔むなんて実に愚劣きわまりない。

われわれ人間はいい日が少なくって悪い日が多いとこぼすが、ぼくが思うにそれはたいてい間違っている。もしわれわれがいつも、神が毎日授けてくださるいいことを味わう率直な心を持っていられたなら、たといいやなことがあっても、それに堪えるだけの力を持つことができるだろう

不機嫌というやつは怠惰とまったく同じものだ。つまり一種の怠惰なんですから。ぼくたちはそもそもそれに傾きやすいんだけれど、もしいったん自分を振い起す力を持ちさえすれば、仕事は実に楽々とはかどるし、活動しているほうが本当にたのしくなってくるものです

問題は不快な感情でしょう、こいつは誰にしたってありがたくない。それに自分の力は、それをためしてみるまではどれほどあるものか、誰にもわかりはしませんよ。

たくさんの悪徳にたいしてはお説教があるけれども、ぼくはまだ不機嫌をいましめる言葉が説教壇から話されたのを聞いたことがない

不機嫌というものは、われわれ自身の愚劣さにたいするひそかな不快、つまりわれわれ自身にたいする不満じゃないんですか。また一方、この不満はいつもばかげた虚栄心にけしかけられる嫉妬心と一緒になっているんですよ。仕合せな人間がいる、しかもぼくらが仕合せにしてやったんじゃない、さてそういう場合に我慢ならなくなってくる、そういうわけじゃありませんか

仕合せなのは毎日自分に向ってこういえる人だけだ。お前は友だちに何もしてやることはできないぞ。友だちのたのしみの邪魔をせず、友だちと一緒になってたのしむことによってその幸福を増してやる以外は。

われわれは神がわれわれを遇するように、子供を遇しなければならない。神は心たのしい錯覚のうちにわれわれを酔ったように歩かせるときこそ、われわれを最も幸福にしてくれるのだ。

音楽の古い魔力について語られていることはみんな本当だと思う。単純な歌はぼくを感動させる。よくぼくが自分の額に一発弾丸を撃ちこみたくなっているようなときに、ロッテはその歌をうたいだしてくれるんだからなあ。ぼくの心の迷いや闇は消しとんでしまう、ぼくは再びのびのびと息をする。

世の中のことは、どんなこともよくよく考えてみればくだらないのだ。だから自分の情熱や自分の欲求からでもないのに、他人のため、金のため、あるいは名誉とか何とかのためにあくせくする人間はいつだって阿呆なのだ。

業病にとりつかれて、刻々衰えていく不幸な人に向って、短刀を揮ってひと思いに苦の源を絶てと要求できるかい。その病人の精力をむしばんでいる病気は、また同時に病気からわが身を解放してしまおうという勇気を奪うものではなかろうか。

心がせばめられて、印象にたいして敏感すぎて、ある種の観念が腰をおろしてもう動こうとせず、自分というものを持てあましている人間の情熱が次第次第に大きくなっていって、平静な分別を根こそぎにしてしまい、破滅してしまうような人間を考えてみたまえ。 落ち着いた理性的な人は、そういう不幸な人間の状態をつぶさに見渡すだろうし、また何かと忠告もしてやれるだろう。だが、そうしたところでどうなるっていうんだい。病人が寝ているそばに立っていても、自分のありあまる力を爪の垢ほども病人に分けてやることのできない丈夫な人間とえらぶところはないじゃないか

物語の本を書く人も、第二版で筆を入れるのはたしかに考えものだと思う。たといそのほうが芸術的にすぐれたものになろうともだね。第一印象というものは受け入れやすいし、人間はどんなに現実離れのしたことでも信じる気になるものだ。ところがそいつはいったん頭に入ってしまったらこびりついてなかなか離れるものじゃないから、それをあとからかき落そうとしたり削りとろうとしたりしないほうが賢明なのだ。

幸福というものが同時に不幸の源にならなくてはいけなかっただろうか。

村々を洗い流す大洪水、都市をいくつものみこむ大地震、そういうまれにしか起らぬ大災害なんか、実はどうだっていいんだ。自然万物の中に隠れている浸蝕力、自分の隣人や自分自身をさえ破壊しないような何物をもつくることのなかった浸蝕力、こいつがぼくの心を掘りくつがえす。

苦しい胸の中からとめどもなく涙が流れる。どんなに泣いたって未来には慰めも望みもありはしないのだ。

われわれは万事をわれわれ自身に比較し、われわれを万事に比較するようにできているから、幸不幸はわれわれが自分と比較する対象いかんによって定まるわけだ。だから孤独が一番危険なのだ。

山を一つ越えて行かなければならないのなら、仕方がないから越えるまでだ。そこに山がなければ、道中はむろんもっと快適だろう。距離も短くなるだろう。しかし現に山があるのだから、越えなければならんのだね

第一席を占めているからといって、必ずしも第一の役割を演じているわけじゃないということがわからんのだ。いったい王なんてものは大臣に牛耳られ、大臣は秘書官に牛耳られる。そうなると誰が第一席ということになるんだ。それは他人を掌握し、他人の力や情熱を、自己の計画遂行のために引き締めるだけの権力ないしは策略を持っている人じゃないか。

ぼくの心こそはぼくの唯一の誇りなのであって、これこそいっさいの根源、すべての力、すべての幸福、それからすべての悲惨の根源なんだ。ぼくの知っていることなんか、誰にだって知ることのできるものなんだ。——ぼくの心、こいつはぼくだけが持っているものなのだ。

ぼくを不安にし傷つけるようなことをどうしてこの胸一つに納めておかないんだろう。なぜ君までも悲しますんだろう。なぜぼくはこういつも君にたいして、ぼくをあわれみ叱る機会を与えるのだろうね。

ぼくはもう百遍もすんでのところで彼女の頸にかじりつこうとした。こんなにいろいろと親しさを見せつけられて、しかも手を出してはならないのだ。このぼくの気持は神以外にはわからない。手を出すというのは、人間の一番自然な衝動だ。子供は、眼につくものには何でも手を出すじゃないか。——ぼくだけ別だというのか。

宗教は多くの疲れた人には杖となり、多くの衰えきった人には慰めとなるとぼくも思う。ただ——いったい宗教は誰にたいしてもそうありうるのだろうか、そうなければならんのだろうか。広い世間を見渡せば、宗教がそんなふうでないたくさんの人がいることがわかるはずだ。宗教がそんなふうの意味を持ちそうにもないたくさんの人たちだ。これは説教をきくきかぬに限らずだ。

天上の神様よ、人間は物心のつかぬ以前か、分別を再び失ってしまった以後かでなければ幸福にしていられない。あなたはこれを人間の運命ときめたのですか。

世の中はどこも同じです。辛苦と労働があって初めて報酬とよろこびがあります。けれどぼくにはそういうものがどうでもよくなったのです。

よろこばせてあげなくてはいけない人にかえって心配をかけるってのが、やはりぼくの運命なんだ。

死ぬ。死ぬとはどういうことだろう。どうでしょうか、死について何かいったって、それは夢を見ているようなものではありませんか。ぼくもこれまで死んでゆく人をずいぶん見ました。けれども人間の考えは狭いもので、人生の初めと終りのことははなはだぼんやりとしているのです。

大熊座の轅星が見えます。ぼくの一番好きな星だ。夜あなたと別れて門を出ると、ちょうどあの星が真向いに懸っている。ぼくは幾度か酔い心地であの星をながめ、ぼくの現在の幸福のしるし、神聖な標石と思って両手を差し伸べたことでした。そうして今でも——おお、ロッテ、一つとしてあなたを偲ばせないものはない、あなたはぼくを取り巻いている。神聖なあなたが触れたものなら、どんなつまらぬものも、まるで子供のように飽くことを知らずにぼくはひったくるようにしてきたのですから。

以上、「若きウェルテルの悩み」 ゲーテ著 高橋義孝訳 新潮文庫 Kindle版より引用。

『若きウェルテルの悩み』は↓こんな作品や世界観が好きなあなたにおすすめ。この小説を読んでいる時にパッと思い浮かんだ映画・小説・漫画・アニメ・テレビドラマ、または音楽など

色々と考えてみたけど、これしか浮かばなかったです。すいません。なんか塔で自殺した小説があった気がするんだけど、タイトル思い出せないし、村上春樹のノルウェイの森は女性の方だし、…うーんなんか雰囲気違うって思うので人間失格で。

オススメ大好きちぐのさん

『若きウェルテルの悩み』のような小説が好きなあなたに、ぜひ次に読んで欲しい小説はズバリ…

野口明人

次に読んで欲しいというか、僕が次に久々に読み返したいなぁと思った小説です。太陽が眩しかったから。と言った主人公に今の僕は共感出来るのだろうかと…。シッダールタと光あるうち光の中を歩めは今、ウェルテルが生きていて友達だったら、相談にのった時にこんな本を勧めるかなぁって思った本です。

『若きウェルテルの悩み』まとめ

まとめ大好きちぐのさん

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恋愛は人生最大のテーマと言っても過言ではないと思いますが、ここまで人を好きになれるのも羨ましいなぁと思う自分がいたりして。

なんか歳をとる度に、恋愛からは離れていっている気がして、心の衝動よりも現実的で経済的な事を考えてしまう自分になってしまっている。

中学生や高校生の時は、好きなあの人を一目見ることが出来た日はそれだけでハッピーデイだったんですけどね。今になっちゃ〜好きな人すら見つけられませんよ…。

世の中で一番食べてはいけない食べ物、それはウェディングケーキだ。と言っている偉人もいるようで、恋愛と結婚は別物なんでしょうが、恋愛ってし始める時はすごく楽しいもんなんですけどね。始りは楽しいのに終わりが哀しすぎて恋愛出来ない。

ウェルテル…。君の苦悩のせいで、しばらく僕は恋愛が出来そうもないよ。消しゴムひとつで幸せになれたあの日が懐かしい。付き合ってくださいと言い忘れ、ありがとうと言われた告白が懐かしい…。

ではでは、そんな感じで、『若きウェルテルの悩み』でした。

P.S.湊かなえにウェルテルが出てきたというのは、先生の名前が良輝で、ウェルテルって呼んでくれ!っていう熱血教師の発言です。

好きじゃなくても気になっている人でいいから教えて〜っていう質問。あれに答えてしまうと不思議と好きになってしまうよにゃ〜

にゃんこ先生

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