四国で歩き遍路5日目。表と裏を知って初めて人は救われるのかも…。

歩き遍路5日です。昨日から引き続き今日も雨が降っていましたが、先生曰く「昔の人のことわざでこんなものがある。3日と続く雨はない」

その言葉通り昼頃には雨が上がりました。確かに今日は雨が降り出して3日目。昔の人のことわざって面白いものが多いですな。

さて、今日はどんな1日になるのかしら…

スポンサードリンク

歩き遍路5日は明日のイベントの準備で始まる

明日は日曜日。先生の所では障害者の自立支援のイベントに参加する準備を進めて行きます。

僕は梱包された鳴門金時の商品にラベルを貼っていく仕事をさせてもらう事に。

賞味期限の日付をスタンプし、ペタペタ袋にシールを貼っていく。

こういう単純作業の繰り返し、大好きなんだよね。同じ事の繰り返しのように見えるのに、徐々に仕事が速くなる。

それって、やっている事が少しずつ上達していくって事で、慣れもあるかもしれないけど、少しの工夫を発見したり、手順を開発したりと、同じように見えて同じじゃないんだな。

イチローもすごい事を達成する唯一の方法は小さな事の積み重ねだとかなんとか言ってたしな〜。

車で出かけて何処かへ向かう

ラベルを貼り終えると、ここでの基準にもれたイモを積んでどこかに向かう。

先生とあねさん、そして僕は車で山道を進む。

おや?

ここはお遍路道の途中にある柳水庵近くにある小屋。歩き遍路を再開した時の次の札所である焼山寺への道にある。

先生が遍路道はこういう所と紹介がてら連れて行ってくれた。

無人だったけど、どうやらお遍路はここで休憩していいらしい。トイレットペーパーなどが備えてあったので、時々誰かが管理してくださっているらしい。ありがたい。

小屋の横にはスズメバチ対策のペットボトルの仕掛けが設置してあり、すでに数匹のスズメバチが沈み、1匹がもがいていた…。

先生はこの仕掛けを見て、ここ、もうちょっとこうした方がええんちゃうか?と、知恵を出していた。こういう仕掛け、常識なんだな。知らなんだ。

ヤギに鳴門金時を届けに行く。無駄なものについて。

先生はどんなものでも無駄にしない。農家から廃棄しなくちゃいけない物を受け取り、選別し商品にする。

そして先生の所でも選別に落ちた鳴門金時はこうやってヤギを飼っている人などにタダで配って歩いているのだ。

先生は言う。物は使いようやけん。みんながゴミと言うものでも、ワシにはゴミじゃないんよ。人間もそうやで。

社会に適合出来ない人が、ウチで暮らしていくうちに自分の得意なもの、適所を見つけて社会に戻って活躍するやつがよういるけん。

この世に捨てなきゃいけないもの、使い道のないものなんてないんよ。見つけられてないだけなんじゃ。ほうじゃろ?

神山温泉に連れて行ってもらう。そこで教えられる人間の本質

先生の小屋(今滞在させてもらっている所をこれからこう呼ぶ事にしよう)がある山の向かいに神山町という町がある。

ここは比較的開けている町。家が山の所々に点々としている小屋の町に比べて、こっちの町には平地があり、いくぶん人の交流がある。

それによって人の性格なども変わってくるようだ。人間の潜在意識は環境によって左右される所があり、閉鎖的な地形にはうちにこもりやすい性格、縦の関係を大切にしやすく、開けた地形には社交的な性格、横の関係をたいせつにしやすい。

山を挟んだすぐ隣の町でも、こんなに変わる。先生が初めて小屋の町に来た時は、町の人と打ち解けるまでに10年以上かかったらしい。でもだからこそ人間は面白いとの事。

町おこしにWiFiって言うのもありだよね?

神山町はインターネット環境を入れた事で成功した土地でもあるようで、芸術関係の人が外からこの町に住み着く事もあるようだ。

人は都会に集まりやすい。土地が高かろうが便利さや華やかさ人を求めて、競争を求めて都会に向かう。結果田舎町はドンドン過疎化する。

人がいなければ産業も廃れ、便利さや華やかさは失われる。しかしそれと同時に人がいなくなれば競争する事もなくなり、ものが余る。結果土地代も安くなる。

今、働き方が様々になり東京で働こうが、地方で働こうが同じ仕事が出来ることも増えてきた。だったら、こういう田舎町で土地が安いのはメリットでしかないのではないか。

ただ、家探しの間取り図を見てもわかるようにトイレ風呂、駅から何分と同時にネット環境の有無も載せるようになってきた。

それはやっぱりネットが現代人にとって重要事項になっているからであり、町おこしの為にWiFiを入れる事も大きな一手な気がした。僕個人の意見だけど。

安いは悪いではない。

だって、家賃5000円だよ?昔、神奈川で25000円で安いとか言っていた僕が小さく見えるぐらいな価格だ。

だからさ、人がいない所にネット環境なんて整えたって仕方ないって考えじゃなく、ネット環境整えたら人増えるんじゃね?って僕は思うんだ。

ま、先生の小屋にはWiFiないし、ケータイの電波も入ったり入らなかったりだけどさ。4G、3Gは知ってたけど1xと言うスマホの電波の表示を初めて見たよ僕は。

このブログも必死で電波探して書いているのさ(笑)

便利さや華やかさはないけどさ、ここには人間との競争もそれほどなく、自然から学ぶ事がたくさんある。

毎日毎日勉強。学ぶ事や新しい発見が多くて、ブログで伝えたい事が都会よりも沢山あるのです。

福福というお店にて、徳島ラーメンを食べる。

お風呂に入った後、ラーメン屋に連れて行ってもらいました。

僕はらーめん550円をチョイス。

おお。

スープはとんこつのような、魚ダシのような都内のラーメン屋では食べた事がない味。なんとなく言えば長崎ちゃんぽんみたいな、でもちょっと違う。チャーシューも大きい。

麺は細麺。これも歯ごたえが面白い。

前に徳島に来た時は、生卵がぽとりと落としてあり、甘い牛肉が入っているお店に行ってこれが徳島らーめんかぁ!なんて思ったけど、こういうお店のらーめんの方が徳島ではスタンダードなんだとさ。

とにかく、すんげー美味い!

金長まんじゅうで糖分補給の後に…

らーめんを食べ終えると、小屋に戻ってお菓子を食べたりお茶を飲んだりしながら、夜の哲学の授業が始まります。

金長まんじゅう。美味しい。前に来た時にも食べた。一個100円。関東でも買えたらいいのに。

さて、哲学の授業なんて言いましたが、要は雑談です。寝る時間までゆっくり会話をして過ごすだけですな。

でも、この雑談がさ、本当に学ぶ事が多いんよね。

先生たちと語る裏表。表の宗教と裏の密教。

物事には裏と表がある。陰と陽がある。

僕はお遍路に出て、寺での作法がわからなかった。それを見よう見まねでお線香立てたり、般若心経唱えたり、御朱印もらいながら四国88ヶ所巡りをしているのだ。

現在11ヶ所回ったわけだけど、途中何度も本当に88ヶ所周ったら心が救われるのだろうか?と不安になる事があった。

僕のやっている事は正しい方法なんだろうか?礼儀作法は間違っていないか?途中、車で送ってもらったりする事はズルなのではないか?御朱印はスタンプラリーなのではないか?本当に救われるのか?

こんなに話を先生にぶつける。すると、世の中は全て裏表がある。宗教だってそうじゃ。と教えてくださった。

大切なのはお参りをする事ではない

ええか?お寺に行ってお参りをする。般若心経を唱える。これが本当のお参りをするという事ではないと偉い坊さんから聞いた事があるんじゃ。

信じるものは救われるってよく聞くじゃろ?各宗教に神様がおるけー、神は、信じるものは救ってくださる。

お賽銭にいくらいくらツッコむとか、何度も寺に参る人、礼儀作法がちゃんとしているとか、そういう事で信心深さを測る人もおるけど、それじゃーな、お金を持ってない人や、足がなく寺参りに来れない人、手がなく拝む事が出来ない人は神さんは救ってくれんのか?

違うじゃろ?本当はお参りなんてせんでもいい。お賽銭に入れるお金だっていくらでもいい。ふと普通の生活をしている時に拝む。これが究極の拝み方じゃと聞いてワシは妙に納得してもうたんじゃな。

商売繁盛、家内安全…

拝む内容もな、みんななんじゃかんじゃと自分の事ばかりお願い事するだろ?

しまいにはお墓の前でさえ、お願い事を唱えるやつもおる。

本来、お墓の前でするんわ、会話じゃけー。こんな事があったでー、とかそういう報告をな、すればええんじゃ。

でもみんな自分の事しか考えんけー、商売繁盛だなんじゃと祈ってしまう。

お賽銭にしても、このお金はどうせお寺の人が懐に入れよるから、もったいないとか考える人がよーさんおるけ、でもお賽銭ってのは人間の金欲を捨てる行為でな、お金持ちの人が1億円お賽銭に入れるより、日々生活に困っている人が、お金ほしいお金ほしいという気持ちを捨てるために1000円の生活費から500円入れる。

そうするとお金なくなって生活出来なくなるから、頑張ろうって気になるわな。お金にすがって勿体ないって考えたら唯の1000円しか持ってない人間になるけど、いったん捨てて、欲が消えるとそこに新しい気持ちが生まれる。頑張って働こうって気持ちだったり、もっとこう出来ないかなーって頭使うようになったりな。

だからな、1万円払ったんだから願いをかなえてくださいとか考える人おるけど、ちがう。でも普通の人はそういうこと気づかんで。だって宗教の表ではお賽銭を入れなさい。神様に拝みなさいしか教えてくれんのやから。

でも昔、えらい修行を積んだ坊さんは、その宗教の奥義、おくの義と書いておうぎを知った。奥にしまうということは普通は人に見せない。それが密教。

密教を深く勉強をしたわけではないけれど、きっと密教では、表の宗教の教えとる事のまったく反対のことが書いてあると思うんよ。でもそれを最初っから見せたら人々は混乱してしまう。矛盾しとるやないかってな。

だから、表を知って理解した人だけに裏を教えるんや。表だけでは解決出来ない問題も出てくる。それを裏を知ることで残りの部分も解決できるようになる。

ノーベル物理学賞の湯川秀樹と宗教

日本人初のノーベル賞をとった湯川秀樹という男がおってな、あの人の人生の最後知っとる?最後は宗教を研究しよったんや。物理学をやってきたもんが宗教をやる。まったく正反対の存在やで。

こんな科学者の権威のような人がしよったら、科学の世界の面目丸つぶれだから、大声で発表出来ん。そやから知ってる人も少ないかもしれんけどな、表を極めた人は必ず裏も知りたくなるっちゅうーわけやな。表だけをきわめてもどうしてもわからんことが出てくるで?そしたら裏も知らんといかん。

科学の結晶である宇宙飛行士もな、飛び立つまえは必ず教会で神に祈る。科学と宗教。まったく別のもんなのに、面白いで?

でも、今の若いもんは純粋でなー、裏側が存在するっていうことにすら気がつかん。表だけを見て悩む。こんつめて考えてもうて、表の世界だけで判断しつぶれてしまうんやなー。

そんな感じの話を先生はしてくださいました。その話を聞き、確かに僕の考えは0か100という極端な考え方しか出来ない。光と影。影を裏返そうにも出来ない。太陽そのものには影が出来ない。表しかない。裏しかない。そんな発想で物事を考えてしまう癖がついていた。

だから自分の意見にあわないものは全否定し認めない。認めないから認められず攻撃され否定される。そして悩む。誰も自分のことをわかってくれない。周りの考えがわからない。

そうじゃなく、両方を認め柔軟に対応する。そうすれば世の中はもっと生きやすくなるのではないか?と考えた夜でした。

歩き遍路5日目のまとめ

先生はいろいろなところへ連れて行ってくださり、そのつどそのつどその場所を用いて僕に話をしてくれる。あまりに多くの発見や驚きがあるので、ぽろぽろと記憶から落ちてしまわないか心配だけれど、出来る限りこのブログに残していけたらいいなぁ。

電波が届かない場所なので、メモを取っておいて、ガーっと書いてるけど、なんとなく忘れちゃっていることもありそうだな。

しかしまー、こんなにも人の話を素直に聞ける自分というのも、珍しいものだ。

先生は考え方を押し付けない。様々な角度から質問をなげかけ、自分の頭や経験で考えさせる。そうやって自分で納得が出来たものだから、すーっと体の中に染み渡っていく感じがします。

さー、明日は支援施設のイベントでお手伝いをします。緊張するけどたのしみだー。

ではでは、歩き遍路5日目の出来事でした。

にゃんこ先生
金長まんじゅうを関東で普通に売ってくれないかにゃ~

スポンサードリンク

この記事が参考になったら広めて頂けると助かります。

コメントを残す